2026/04/01

令和八年四月朔 四月馬鹿

 



語彙論の変遷と「語」の位相 ―― 国語学から日本語学へ

こんばんは。

一昨日の「語彙の深層」に続き、今日は日本語の語彙について、その学問的な枠組みの変化を少し振り返ってみたいと思います。

かつて「国語学」の大きな三本柱といえば、音韻・文法・語彙でした。

しかし、時を経て「日本語学」へとその呼び名や領域が変わる中で、語彙の研究は「意味論」や「計量語彙論」のままへと分化し、あるいは吸収されていきました。

「語の集まり」か「語のまとまり」か

1950年代から2000年代にかけて、語彙論は大きな議論の中にありました。

単なる「語の集まり(集合)」としての語彙を見るのか、それとも「語のまとまり(体系)」として捉えるのか。

もともと語彙に体系性を求める動きは、語と意味の関係性を重視する視点から生まれました。

その研究を「語彙論」に置くのか、言語分析としての「意味論」に置くのか。結果として、国語学的な語彙論の多くは、日本語学における意味論の枠組みに包含されることになったのです。

恩師の講義と「心身語彙」

「語彙に体系はあるのか」

わたしの恩師は、講義の中でそう断言されることはありませんでした。

しかし、1979年に上梓された『心身語彙の史的研究』(明治書院)という研究成果は、その問いへの一つの静かな回答であったように思います。

精神活動に関わる語彙が、時系列の中でどう広がり(史的研究)、空間としてどう構成されているのか。

「雪・月・花」という言葉の対比が、時空を超える体系を持つのと同じように、語彙を一つの有機的な統一体として見る視座を、私はその背中から学びました。

語種と文法の重なり

日本語の語彙を語種(和語・漢語・外来語)で分けるのは、国語学の伝統的な手法です。

しかし、これは単なる語彙の分類に留まりません。

最近では、この区別が音声や文法にも及んでいると考えるようになりました。

  音声: 漢字音、外来語音、仮名発音。

  文法: 漢文法、英文法、国文法。

これらが複雑に絡み合い、一つの「日本語」という体系を統合している。

語彙の単位をどう捉えるか、形態素まで分解すべきかという論理的な矛盾を抱えながらも、わたしたちは今なお、この広大な言葉の海を記述し続けているのです。

語彙論の歩みは、気の遠くなるような「総索引」の作成や、文献の一語一語を追いかける実証作業の積み重ねでした。

現代の日本語学や言語学が、時に三上説のような鮮やかな演繹的理論で体系を語るのに対し、私の立脚点はあくまで徹底した「帰納法」にあります。

思い返せば、恩師の指導は「背中で教える」といった情緒的なものではありませんでした。「手に取って実例を持て」――。週に10冊の文献を博捜し、語の使い方を自らの手で収集し尽くせ、という壮絶な教えでした。

私は「いき」や「粋」という語の用例を求めて、古典大系を10冊ばかり一気に読破するという、今思えばハードな訓練を課されました。しかし、その手触りを知る作業こそが、語の命を記述する「語誌」の根幹だったのです。

昨今のコンピュータやコーパスを用いた研究手法は、確かに大きな功績を挙げました。しかしその一方で、語彙の実態を、本来の「語誌」からどこか遠い場所へ連れ去ってしまったのではないか。

語彙論は、今や日本語教育という「応用」の場にその居場所を移しつつあります。実証に明け暮れた時代を過ごした者として、語彙の論がいまどこへ向かおうとしているのか、深い感慨を禁じ得ません。


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