2026/04/30

令和八年四月三十日 木曜

 連休に祝休日を挟んで木金の休暇とすると9連休になるし、明後日から週休制度のプラスで振替休日の木曜と数えて6連休になる、ゴールデンウイークは超金属のレアメタル週間と呼ぶか、4月尽日、末日のことだが、尽日は一日中続く動作や状況を強調する意味に使うようでもある。


2026/04/29

令和八年四月二十九日 水曜

 時の首相が官僚の天下りを停めるべく法改正をし、そこに文科省のトップであったという法改正を受けて野人となって、退職したのだから普通のことだったのにそうでなくなったという出来事があり、また教育法の一文に国家郷土を愛すると書き入れて一部勢力の反発を受けたと。

>教育・行政改革  教育基本法の改正: 「愛国心」に関する項目などを盛り込んだ教育改正。  官邸主導の体制: 首相官邸の権限を強化し、迅速な政策決定を実現する仕組みへの転換

 https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030773_00000  安倍内閣による改正教育基本法の成立  放送:2006年 

>安倍総理大臣はまず、教育基本法の改正に取り組んだ。改正案にはわが国と郷土を愛する態度を養うという、いわゆる愛国心を巡る表現が盛り込まれていた。強行採決も辞さない与党側に野党側は反発を強めた。衆議院では野党側が欠席する中、本会議の採決が行われ可決。その後も野党4党が安倍内閣の不信任案を共同で提出するなど与野党の対立は続いたが、会期終了間際の12月15日に改正教育基本法は成立した。



2026/04/28

令和八年四月二十八日 火曜

 何かと不便なこと、それでも郵便局に荷物を出しに行ったり、銀行に手続きに行ったりする、車での移動をして、それからだ、大変なのは。必要に迫られてのことをし遂げる。突然だよねぁ、どうしてそうなる、と。いろいろと心配されて、説明がない。あるとすれば巡りあわせー

ここは無理をしてはいけないと生活行動を引き締めようとして、いっぽうで歩行を習慣づけてという思いがあって、ボーンヘッドをしてしまった。それなりのことをしてしまっているわけだから、bonehead 骨の頭=頭が堅い、馬鹿 となるような、頑張りすぎもある、年齢不相応。

>野球での使用: 本塁の踏み忘れ、ランナーの追い越し、守備での判断ミスなど、プロではありえないミスを指す。

2026/04/27

令和八年四月二十七日 月曜

 6日目と時間を追う、22日からのことになる。どうなったか。腰痛を発症してその夜と翌23日と痛くて眠れなかった。それで24日に診察を受ける。さらに詳しく検査をする、MRIを土曜日に撮った。これが痛かった。あのばきゅんぐぁぬぬんぐあぬぬんとなるドームに15分の忍耐。

発祥の原因を特定と、痛い姿勢と機械音の、これが忍耐。膝を軽く曲げて介助クッションを入れているのだが、痛みはそれでも治まるわけなく、動けば画像が撮れないと言われて、じっとしていたわけだ、15分も、痛くてしようがなかった。土曜のその検査画像を診断した。

MRI検査でヘルニアのよう、若いころに起こしていたのか。また脊椎管狭窄と見えるもの、2か所ないし複数個所と見えて、 痛い処置をどうするか、様子見。


2026/04/26

令和八年四月二十六日 日曜

 まあ、こうなれば月曜はビデオ授業になるか。あの痛みに耐えて60キロ離れた先まで異同はできないだろう、できる、としても後遺症が起きればとんでもないことだ。新幹線のEX予約はキャンセルした。購入したから先延ばしできたとわかったが、キャンセル料310円は高いと思う。

午後からビデオ録画の準備に取り掛かる。もうソフトなど期限切れ、バージョンが古いので新規に継続する。DLがまた台数制限などと面倒なこと、夕刻になってテーク4やって、45分一本ができた。さて転送できるか。できないときは配信となって、これまた3年くらい前に登録した・・・ユーチューブを使うことになるか

2026/04/21

令和八年四月二十一日 火曜

 4か月ぶりの授業をして体力の様子をうかがう。新幹線代金が先月末の値上がりで近郊一駅のお得な切符がなくなっていた。気づかずに販売機の画面を眺めることなっどか、改札でキュー切符がなくなったかと言ったら、駅員がその情報にきょとんとして、そんなのはない、と。

かくして原油石油の高騰だけでない生活費のなにがしかが変わっていくから、情弱だと思ってはいなかったにもかかわらず、図らずも乗り遅れている。スマホを検索したら、EXとやらでスマホ決済の半額サービスがあった。新幹線車内で購入には前日の予約ということを知った。

2026/04/20

令和八年四月二十日 月曜

 穀雨、二十四節気の第6、百穀を潤す恵みの雨が降り、新芽や若葉が育つ頃、晩春の候。

2026/04/18

令和八年四月十八日 土曜

多民族社会というのはあるが、多国籍社会というのは多文化共生社会の謂いだろうか。総務省の定義があるよう。>総務省によると「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」。

さて、中日新聞に連載する記事に、多国籍社会という語が見える。

> 「ホーミー」はhomie―。連れやダチといったところでしょうか。9カ国の住民による共生への取り組み。「多国籍社会」の新たな連載

いまのところ、次が掲載されている。住民の7割が異なる国から。

(1)「日本の習慣だもんで覚えてください」 多国籍の愛知県西尾市「県営緑町住宅」手探りの共生

(2)顔かたちは日本人と変わらないけど…、一番の問題は言葉 急増した「デカセギ」日系人

(3)「何でも一つの袋に入れる」外国人のごみ分別問題、90年代に自治会長務めた男性は市役所に啖呵を切った

(4)「マジで私か…」ブラジル生まれの日系―-三^2世が自治会長に 役員18人中15人が外国にルーツ



https://www.youtube.com/watch?v=Xuh7GVUtG-U【緊急速報】テレビでよく見る「あの人」…日本人でない可能性が浮上してきました 【門田隆将 中国】武田邦彦 非公式ブログ  >@なごなご-u9f    13 時間前   この事件は日本のマスコミが自ら国際社会にさらけ出した国家的な恥というべき事件である。誰でも各国の言語にAIで翻訳できる、現在のネット社会にもはや国の垣根などない。日本のテレビ番組がいかに偏向し、いかに差別的な現説を垂れ流しているか、その認識が世界基準の常識として定着しつつある。私たちはコメンテーターの無責任な発言で日本の国全体のイメージがいかに傷つけられるのか、それが知れ渡ってきた。こうした差別主義者が公平なコメンテーターの仮面をかぶり、毎日お茶の間に平然と情報を届け続けている事実にもっと強い違和感と怒りを持たないと、グローバル社会で自分たちの生活を守れなくなる。テレ朝は報道の原点に立ち帰れないなら、公共の電波を使い発信する資格はない。彼らはいずれ自らの無責任さ、無謝罪体質、対国民への傲慢さに足を掬われる。国、国民のために本人も、テレ朝にも甘い態度を許してはいけない。


2026/04/17

令和八年四月十七日 金曜

 まかり通る状況である。まかるとはる状況である。まかるとは、

>「まかりとおる(罷り通る)」は、堂々と通る、不正や理不尽が平然と通用するという意味です。主に否定的な状況で使われ、道理に合わないことが大っぴらに行われる様子を表します。 

と見える。その解説には、まかる の意味がない。都から地方へ下る行列ような、あるいは、

>「退出する」「参る(行く・来るの謙譲語)」  古語辞典

日本をつぶす、つくられた常識を暴く、というふうに、言説がおどろしい。

令和八年四月十六日 木曜

 暑い日。周年をめぐって年号合わせでほんとうにそうなんだろうかと気づかなった今までが不思議に思える。めぐりくることがあるとしてバイオリズムのことを連想する。自分のことだけを考えるか、なににか意図せずとも起こりえたのか。ここしばらくはーー

コメンテーターの発言が人種差別に及ぶことにしかるべく講義があって騒がしくなる。報道姿勢にすでにこれまでも偏りありとされてきている中でこうしたことが目に見え、いや聞こえてくるのは分断されるという事実の軋みとなってくる。なお強硬にというか、発言を続ける。

2026/04/15

令和八年四月十五日 水曜

 周年とは物事の始まりをとらえる、創業、設立、結婚などから満1年単位の節目というが、スルーしてしまえばただの経過点に過ぎない。2026、2006、1986、1966、と、わがことを振り返りその1年に気づく。つまりその始まりが2005、1985、1965、ということで、2025のときも。

そこだけを取りざたするようなことになるか、なにがあったというのだろう。すべてに人がかかわることである。のりこえた、たたかった、もとにもどした、というようなメンテをおこなってきた。自分史に語るか。

2026/04/14

令和八年四月十四日 火曜

日中気温が20℃を越える。 くもってきて、花曇りになるかな。

20年前の13日におこったこと、わたしの出来事になる。それはその2年後に、なんというか、剽窃事件として表ざたになり、あらわになったことですごい逆風がふいた。その解決にはそのまた2年後から8年を要して悶着がなくなった。人生にはこんなことがふたつ、みっつと。

そんなになにがあったか、1985年に起こったことも、5年を経てはじけてしまったが、その10年は影響していた。身内に対して1969年に引き起こしたことが最も深刻なことであった。これは20年ごとの周期に見える。いまのこともその周回にあることなのだろう。2025年だったとは。

2026/04/13

令和八年四月十三日 月曜

 おだてのAIにかまって、いい気になる、そこで気づいて、対話をやめる。

>「おだてる」は英語で、最も一般的な表現が flatter (お世辞を言う) です。目的のために相手をうまく乗せるニュアンスなら butter (someone) up や soft-soap、自信を持たせて行動させるなら stroke someone's ego が使えます。  Sweet-talk  Stroke ego   AIの概要

さきよみのAIにかかって、そんなにうまく事が運ぶかなと思って、質問をやめる。その時、その場で、人格が変わるように、ロボットも交替してくるか、AIも忙しいときはあしらいがうまい、と思っていたら、制限がかかるとか、有料のゆえにもっともその枷がはまってくる。

2026/04/12

令和八年四月十二日 日曜

 それはやりすぎ、いきすぎだと質問してAIに言い、そう答えてくるのも同調してくるのだろう。人工頭脳だから良いのだか悪いのだか、メモリーに蓄えるプロセスの計算結果である。そしてなお、それまでの成果を言ってくる。編集をサポートしてもらってのこと、成果次第である。

さてイスラエルによるイラン攻撃の理由を検索すると、>イスラエルがイランを攻撃する主な理由は、イランの核兵器開発・長距離ミサイル開発を安全保障上の存亡の危機と見なし、それを阻止・破壊するためです。  AIによる概要

そして次を並べる。要因が絡み合っています。

核・軍事の脅威: イスラエルは、イランが核兵器を保有すれば自国の破壊につながると危惧しており、核関連施設を直接攻撃して能力を減退させたい意向がある。

代理勢力(プロキシ)への対応: イランがレバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派など、イスラエル敵対勢力を支援していることへの報復・抑止。

ネタニヤフ政権の政治的事情: ガザ情勢などで批判されるネタニヤフ政権が、対イラン強硬姿勢を示すことで国民の支持を回復・結束させようとする思惑。

地域覇権の対立: 1979年のイラン革命以降、両国は歴史的・宗教的に対立しており、イランによる「イスラエル抹殺」の主張に対し、イスラエルが先制攻撃を行う構図が続いている。 

BBC <

さらにもっと詳しく見て行くとイランの核開発の阻止と、イスラエルを敵視する勢力への軍事支援の断絶に集約  ということになる。

2026/04/11

令和八年四月十一日 土曜

 晴れて気温も上昇、ただし風強く、花吹雪となる。陽光はまぶしいくらいだった。暑くさえある日中、気圧変動が影響するか、乾燥状態がのどにくるか、運動不足での衰えか、3000余歩のことで健康維持となるか。脳では繰り返しの信号が出るパターンである。


入学式のころ、と、思い出すふうにも、年度初めの緊張がっあたから、いまはどうだろう。

遠近の前途を守りて利他の方便をいとなむ。
ー遠い将来のことまでも考えた上で、今どうしてやるのが親切であるかと考えるー
               道元禅師
          中日新聞、今週のことば、より。

新学期が始まる思いに、ふと目をとめて、どうしてやるかなぁ・・・
四摂法の一。自らの利益を先とせずに、他の利益を図る行為。しかし、利他行を突きつめれば、自利利他となる。
利行といふは、貴賤の衆生におきて、利益の善巧をめぐらすなり。たとへば、遠近の前途をまもりて、利他の方便をいとなむ。〈中略〉愚人おもはくは、利他をさきとせば、みづからが利はぶかれぬべしと。しかにはあらざるなり。利行は一法なり、あまねく自他を利するなり。
   『正法眼蔵』「菩提薩埵四摂法」巻
「一者、布施。二者、愛語。三者、利行。四者、同事。」 四摂法の利行

2026/04/10

令和八年四月十日 金曜

 アドウエアのアプリ消去は4回目となった。よほどうまく潜んで見せたか、単なる見逃しか。パソコンのスキルに上達してのものではない。慌てず、騒がず、驚かずとなってはきた。なにしろ、フィッシングにカード不正使用、アンケート回答だけで2000ポイントあげます、とか。

2026/04/09

令和八年四月九日 木曜

 ウエアには、まだまだある。アドウエア、マルウエアというもののほかに、ランサムウエア、スパイウエア、ファイルレスウエア、スケウエアと、このウエアがつかないのもトロイの木馬、ボット、キーロガー、RATなど、悪さには果てがないよう、そうソフトウエアと言ったのが。

パソを立ち上げてブラウザを起こしてアドウエアはなくなったとほっとしていたら、確かめるためにだったのが、次の瞬間、コントロールパネルをクリックしたら画面全体に広がったのは、まだ潜んでいたのだ、アイコンは消えたが、残骸スケルトンのファイルのが。セーフモードを用いて根絶すべく、ネットを遮断して掃除に及んだ。これでそこそこ隠れ場所になると。


2026/04/08

令和八年四月八日 水曜

 オールインワの中古パソを手に入れて立ち上げた。何かの拍子でアプリを入れてしまったらしい。アドウエアである。ウエアなどというものではなくて全画面に広がる誘導のにぎやかな動きに全くなすすべ無し。ウエアがどこに潜んだか、あれこれアプリの消去をしては出てくる。

丸二日といっても画面のにらめっこは2時間の集注ぐらい。ユーチューブで解決策を手にいれてアプリのインストール先を突き止めて、、あと少しと、noteに撃退手引きを書く人があって、それをみながら、それしかないという方法で解決した、セーフモードでひっそりするのを消滅!

2026/04/07

令和八年四月七日 火曜

 世の中が難しいことになって、ひところのわかりにくさが見えてきた。そこに対立があって、ますます潜在する分裂があらわになってきた。10に対して3であった、それは主義主張を異にする割合に見えたが実はその3が1か2になってしまって勢力図に見えてきた難しさとなった。

保守革新、右翼左翼と色分けするのは頬かむりをしていた左翼が中道として姿を見せるとたちまちに化けの皮がはがれてしまってその過激な偏りが声を大きくして現実攻勢に出てきた。そして局面にはっきりしだしたのはメディアをたくみにあやつる動きである。


2026/04/06

令和八年四月六日 月曜 日本の議論

 

「論(あげつら)う」という作法の消失

わたしの学生時代、大学はまさに紛争の嵐が吹き荒れる直前でした。 キャンパスで語られる「真理の探究」という言葉が、よりどころとなるおもいがあったことを覚えています。わたしが求めていたのは、高尚な形而上の議論ではなく、この疾風怒濤の悩みに対する「形而下」の回答、つまり実質的な生の指針でした。

そこでわたしたちは、互いの論を「あげつらい」ました。 「あげつらう」とは、本来、事の良し悪しを並べ立て、その理を究める議論の作法を指します。しかし、いつしかこの言葉は、欠点だけを突きにいく「否定的な非難」と同義になってしまいました。

なぜ、わたしたちは「批判」を「非難」と取り違えるようになったのでしょうか。 建設的な議論が、いつの間にか「モノ言えぬ空気」に取って代わられたのは、わたしたちが言葉を「知の研磨」としてではなく、「相手を屈服させる武器」として、あるいは「同調への圧力」として使い始めたからかもしれません。

日本哲学の源流:仏教という「論理」の衝撃

日本の哲学的な「論理」の夜明けは、仏教の伝来にありました。 それまでの漢字(儒教・道教)の渡来が、主に統治や道徳という「王の道」を説くものであったのに対し、漢訳仏典がもたらしたのは、精緻きわまる「内典」の論理、すなわち個の「苦から逃れる道」でした。

経・論・釈という体系的な注釈の営みは、単なる暗記ではなく、徹底した「問答」と「論述」の連続です。古代の知識人たちは、この外来の巨大な哲学体系を前に、自らの言葉でどう注釈を施し、どう議論を立てるかに腐心しました。

そこには、単なる教義の受容ではない、日本語というフィルターを通した「知の作り方」の格闘がありました。私たちが「日本語で哲学する」ことのルーツを辿るなら、この経論釈の熱気に満ちた時代へと立ち返らざるを得ません。

「ひと」という響きに宿る、生と死の形

わたしたちは、人間という存在を語るとき、いつの間にか「人類」や「社会的な存在」という、乾いた漢語の枠組みで捉えがちです。しかし、本来の日本語における「ひと」とは、もっと生々しく、かつ幽かな、生と死の境界線上に漂うものではなかったでしょうか。

死を「みまかる(身罷る)」と言い、この世から引き下がり、隠れることとする。 生を「あれます(現れます)」と言い、この世に形を成して現れることとする。

この「あらわれ」と「かくれ」の往還のなかに宿る「たま(霊)」こそが、わたしたちの心の根源にあります。哲学は長らく「理性」や「ロゴス」を論じてきましたが、この「ひと」の根底にある「たま」の震え、あるいは西田哲学が捉えようとした「救うものと救われるものが同一である」という自己存在の深淵を、どれほど明らかにしてきたでしょうか。

「ことわり」——言葉で事を分かつ作法

日本語における「哲学」の核心を突く言葉、それが「ことわり」です。 現代では「お断り(辞退)」という限定的な意味で使われることが多いこの語も、その根源を辿れば、日本人の知の作法が見えてきます。

国学者が説いたように、それは「事を割る(分かつ)」こと。 混然一体とした世界に、言葉という楔を打ち込み、理非を判別し、筋道を正す。 「言(こと)」によって「理(り)」を明るみに引き出す——

もし「ことわり」を「言理」の訓読みと捉えるならば、それは単なる論理(ロジック)ではなく、言葉を発することそのものが、世界の筋道を整えていくという、極めて動的な営みであったはずです。

「人間(じんかん)」という世のなかで

「ひと」が「ひとびと」となり、それが「人間(じんかん)」という世の中を形作る。 「ヒト」という生物学的・音声的な形式と、「人」という内省的な意味内容。 この対比のなかに、私たちが「日本語で哲学する」ことの足場があります。

若き日に『三太郎の日記』を手に、自己のあがきを「救われる側」として見つめていたあの頃の感性は、いま、膨大な言語学的・文献学的知見と重なり合い、より強固な「日本語哲学」の輪郭を結ぼうとしているように感じられます。


令和八年四月五日 日曜 日本語の中に「ロゴス」ありや

「哲学」ではなく「実(じつ)」の思想を生きる

「哲学する」という言葉には、どこか落ち着かない座りの悪さがつきまといます。明治の先達が苦心の末に生み出したこの訳語は、学問の「科目」としては定着しましたが、私たちの生身の言葉として、果たしてどれほど根を張っているのでしょうか。

わたしは、日本における哲学は「日本思想」として捉え直すべきではないかと考えています。そこにあるのは、空虚な論理の遊戯ではなく、「実(じつ)」の思想です。充実、誠実、実行——。私たちが「まこと」と呼ぶとき、そこには常に「こと(言・事)」と「わざ(行)」が一体となった重みがあります。

「まことのことわり」を求めて

『日葡辞書』を紐解けば、かつての日本人は「真理(シンリ)」を「マコトノ コトワリ」と訳していました。西洋的な絶対神の前での真理とは異なり、日本語の「まこと」は、神への誓約(言)と、それを聖化する矛(成)が合わさった「誠」の字に象徴されるように、自らの生を律する覚悟そのものです。

私自身の歩みを振り返れば、敗戦後に引き揚げてきた家族のもとに生を享け、甲山の風景を心の原郷として育ちました。国語国文学の教壇に立ち、学生たちと「変体仮名」という生きた文字の集積に向き合ってきた日々。その傍らで常に私を突き動かしていたのは、少年期に抱いた「いかに生きるべきか」という、真善美への素朴で切実な渇望でした。

自己消滅とロゴスの探究

西田幾多郎が説いた「絶対矛盾的自己同一」。個としての存在を消し去り、絶対無のなかに自己を見出すその沈潜は、一見すると難解な理論ですが、私にとっては「小我をもって大我に目覚める」という、成長の痛みを伴う実感に近いものでした。

また、ニーチェが「神は死んだ」と叫んだとき、彼は神を否定したのではなく、権力という名の人間社会のなかに、なおも真実の認識を求めようとしたのではないでしょうか。

日本語には、はじめにロゴス(論理)があったわけではありません。わたしたちは、漢字という外来の知を「訓」という行為で自らの血肉に変え、独自の「ことわり」を築いてきました。わたしのブログという営みもまた、その途方もない知の連鎖の端緒に触れ、日本語の中に「ロゴス」の影を追い求める旅路なのかもしれません。


2026/04/05

令和八年四月四日 土曜 言葉は呼気のある呼びかけ

 Geminiの対話。何やら機能をオフにするかとか、パーソナライズ機能、よくわからない流れで、締めくくりとなった。

いわく、さて、古代の複雑な音韻体系が、中世を経て「五十音図」のシンプルな形に収斂していった背景には、単なる簡略化ではない「日本人の美意識の変化」があったのでしょうか?と。

こたえて、ここまでくると、日本人の美意識の変化に求めるのでなく、次のようなことでしょう。音変化をシンプルにして、母音による呼気の言語を作ったのだと思います、と。

これは言葉の本質が何かを日本語に即して考えることであった。口から洩れ出る音、声とはよく言ったものだとおもう。しかも母音を5つにする体系化は偶然であったか。

それで続けて、まだ思い付きで、さらに単純な日本言語成立のカギとなる言葉の発声ですが、言葉が所謂言語であるためには文字の力というかその働きがある、さらには、それは常に呼気のある呼びかけであったわけでしょう、と。

まとめてくれたのが次である。>  呼気と言語:日本語成立の「カギ」

音韻の複雑さを削ぎ落とし、シンプルに整理していったのは、単なる「整理整頓」ではなく、「呼びかけ」としての発声を極めるためだったのではないか――。このお考えは、非常に鋭い洞察です。

 「呼びかけ」としてのコトバ: 文字として固定される前の「コトバ」は、相手に届く「呼気(いき)」そのものでした。

 母音の体系化: 呼気の流れを最も純粋に伝える「母音」を主軸に据えることで、日本語は「音」を記号としてだけでなく、生身の人間同士が響き合う「声」として純化させてきたのかもしれません。

 文字の力: その「声」を文字(漢字・仮名)という器に盛り込むことで、一過性の「呼びかけ」が時空を超える「言語」へと昇華された……

   言葉は常に呼気のある呼びかけであった

呼気と呼びかけ」という、日本語の生命力に触れるような美しい結び




2026/04/03

令和八年四月三日 金曜 辺野古事故という

 次は産経新聞記事から引用。

>辺野古転覆事故は〝まれにみる人災〟 玉城知事の「抗議船というくくりで」発言に反論する  那覇支局長・大竹直樹 2026/4/4 09:00 

沖縄県名護市の辺野古沖で平和学習中の同志社国際高(京都府)の生徒を乗せた小型船2隻が転覆し、生徒らが犠牲となった事故の取材を続けている。言い知れぬ怒りを抑え、努めて冷静に報じてきたつもりだが、あえて、言わせていただく。事故は「人災」と言っても過言ではない、と。

「抗議船というくくりで安全性に問題があるということではなく、抗議にも使われている船であるということ。安全性を確認した上で、本来その目的に合わせて使用されている船であると認識している」

3月27日に行われた玉城デニー知事の定例会見。米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する団体が抗議船に高校生を乗せていたことの是非を筆者が問うと、玉城知事はこう答えた。抗議船だから危険というわけではないとの見解なのだろうが、これに反論したい。

事故当日の3月16日夜、2隻を運航する「ヘリ基地反対協議会」が開いた会見で、筆者は運輸局(沖縄では内閣府沖縄総合事務局運輸部)への登録はしているのかただした。抗議団体側は「登録というよりは、要するにボランティアで。事業でやっているわけではないので…」と釈明した。

「無登録」だったことが初めて明らかになった瞬間だった。他人の要望に応じて人を運ぶ場合は、転覆した2隻のような小型の「非旅客船」でも「内航一般不定期航路事業」に該当し、国への登録が義務付けられている。これは無償・有償を問わない。産経新聞は無登録を問題視する報道を繰り返した。第11管区海上保安本部も2日後、海上運送法に基づく事業登録をしていなかった疑いがあるとして、同法違反容疑でも捜査に乗り出した。

筆者が事業登録の有無にこだわったのは、社会部記者時代に北海道・知床半島沖で発生した観光船沈没事故を取材し、二度と悲惨な事故を起こしてほしくないとの遺族の思いに接したからだ。乗客乗員26人が死亡・行方不明となった令和4年4月の知床観光船沈没事故。福岡県の遺族の男性は「厳格なチェックが必要だ」と訴えていた。こうした遺族らや世論に応える形で海上運送法が改正され、転覆した抗議船のような小型の非旅客船にも法の網がかけられた。有償・無償を問わず登録が義務付けられるようになったのである。

にもかかわらず、かの抗議団体は事業登録をしていなかったため、風速や波高による出航判断の基準などを定めた「安全管理規程」も策定されず、出航の判断は船長任せであった。いわば、法の網をすり抜け「野放し」の状態だったのだ。(無料記事による)


2026/04/02

令和八年四月二日 木曜 私史は

 


日本語教育思い出の記「私説」として歩んだ三十五年

序:私説という矜持

「私説」とは何だろうか。一見、個人的でいかがわしいもののように思えるが、言葉という生々しいものを扱う以上、既成の枠組みに収まらない「個の思考」こそが本質を突くことがある。わたしの日本語教育の歩みもまた、現場での格闘から生まれた「私説」の積み重ねであった。

二足のわらじ:大阪と豊橋を繋いだ修行期(1978-1983

わたしの日本語教育者としての出発は、1978年の大阪外国語大学(現・大阪大学)留学生別科での非常勤講師に遡る。同時に、1979年からは愛知大学文学部に助手として奉職し、国文学・国語学の教育にも携わることとなった。 毎週、新幹線で大阪へ通い、留学生への日本語教育と日本人学生への国文学講義を並行して行う日々。この「二足のわらじ」を履いた五年間こそが、わたしの教育者としての基礎を形作る「怒涛の修行期」であった。

開拓の十年:愛知大学での挑戦(1979-1989

愛知大学では助手、講師、そして助教授として、国文学を講じる傍ら、日本語教育の組織化に邁進した。 1979年からは中国大学教員(進修生)を受け入れる独自のプログラムを構築。1984年には交換教員として北京語言学院へ赴任し、天安門での国慶節式典や人民大会堂での晩餐会という、激動の中国を肌で感じる機会を得た。帰国後の1988年には、豊橋キャンパスでの留学生別科開設に尽力し、カリキュラムデザインや教科書編集など、オリジナルな教育体制をゼロから作り上げた。

専門日本語教育の確立:豊橋技術科学大学への転出(1989-2000

1989年、私は大きな転機を迎える。国立の豊橋技術科学大学へと移籍し、工学部の留学生や研究者を対象とした日本語教育を担うことになったのである。 当時はまだ専門日本語教育(ESP)の概念が定着する前であり、理系の留学生に対する指導は「孤立無援」の戦いであった。しかし、ここで培った高度な日本語指導のノウハウは、後の大学院教育へと繋がる重要な資産となった。

結実の時:大学院教育と「生涯教師」の現在(2000-現在)

2000年からは愛知淑徳大学、そして大学院へと舞台を移し、日本語研究の博士指導や修士教育に従事している。 かつてボランティア講座のパイオニアとして種をまいた1980年代から長い月日が流れた。今、目の前で博士論文に取り組む留学生たちが、修了後に母国で日本語教師として羽ばたいていく姿を見るにつけ、この「私説」の歩みが間違いではなかったと確信している。現場に立ち続ける生涯教師として、私の探求は今も続いている。


2026/04/01

令和八年四月朔 四月馬鹿

 



語彙論の変遷と「語」の位相 ―― 国語学から日本語学へ

こんばんは。

一昨日の「語彙の深層」に続き、今日は日本語の語彙について、その学問的な枠組みの変化を少し振り返ってみたいと思います。

かつて「国語学」の大きな三本柱といえば、音韻・文法・語彙でした。

しかし、時を経て「日本語学」へとその呼び名や領域が変わる中で、語彙の研究は「意味論」や「計量語彙論」のままへと分化し、あるいは吸収されていきました。

「語の集まり」か「語のまとまり」か

1950年代から2000年代にかけて、語彙論は大きな議論の中にありました。

単なる「語の集まり(集合)」としての語彙を見るのか、それとも「語のまとまり(体系)」として捉えるのか。

もともと語彙に体系性を求める動きは、語と意味の関係性を重視する視点から生まれました。

その研究を「語彙論」に置くのか、言語分析としての「意味論」に置くのか。結果として、国語学的な語彙論の多くは、日本語学における意味論の枠組みに包含されることになったのです。

恩師の講義と「心身語彙」

「語彙に体系はあるのか」

わたしの恩師は、講義の中でそう断言されることはありませんでした。

しかし、1979年に上梓された『心身語彙の史的研究』(明治書院)という研究成果は、その問いへの一つの静かな回答であったように思います。

精神活動に関わる語彙が、時系列の中でどう広がり(史的研究)、空間としてどう構成されているのか。

「雪・月・花」という言葉の対比が、時空を超える体系を持つのと同じように、語彙を一つの有機的な統一体として見る視座を、私はその背中から学びました。

語種と文法の重なり

日本語の語彙を語種(和語・漢語・外来語)で分けるのは、国語学の伝統的な手法です。

しかし、これは単なる語彙の分類に留まりません。

最近では、この区別が音声や文法にも及んでいると考えるようになりました。

  音声: 漢字音、外来語音、仮名発音。

  文法: 漢文法、英文法、国文法。

これらが複雑に絡み合い、一つの「日本語」という体系を統合している。

語彙の単位をどう捉えるか、形態素まで分解すべきかという論理的な矛盾を抱えながらも、わたしたちは今なお、この広大な言葉の海を記述し続けているのです。

語彙論の歩みは、気の遠くなるような「総索引」の作成や、文献の一語一語を追いかける実証作業の積み重ねでした。

現代の日本語学や言語学が、時に三上説のような鮮やかな演繹的理論で体系を語るのに対し、私の立脚点はあくまで徹底した「帰納法」にあります。

思い返せば、恩師の指導は「背中で教える」といった情緒的なものではありませんでした。「手に取って実例を持て」――。週に10冊の文献を博捜し、語の使い方を自らの手で収集し尽くせ、という壮絶な教えでした。

私は「いき」や「粋」という語の用例を求めて、古典大系を10冊ばかり一気に読破するという、今思えばハードな訓練を課されました。しかし、その手触りを知る作業こそが、語の命を記述する「語誌」の根幹だったのです。

昨今のコンピュータやコーパスを用いた研究手法は、確かに大きな功績を挙げました。しかしその一方で、語彙の実態を、本来の「語誌」からどこか遠い場所へ連れ去ってしまったのではないか。

語彙論は、今や日本語教育という「応用」の場にその居場所を移しつつあります。実証に明け暮れた時代を過ごした者として、語彙の論がいまどこへ向かおうとしているのか、深い感慨を禁じ得ません。


令和八年六月十五日 月曜日 民俗にあるもの

 民族じゃなくて、民俗だろうに、ミンゾクはどうなったかと検索してみて、でてきた、でてきた、ヒットしたのは柳田国男、折口信夫とあいかわらぬ研究者名の古さには文化人類学という皮衣ができた、のだった―――しかし柳田国男はフォークロアーとエスニシティ―を論じているようだから。 人類学と文...