2025/08/03

斯く書く詞か辞か 令和七年八月三日

 

かくかく、しかじか、斯く書く詞か辞か、カテゴリーには。

然々だとおもっていたら、ネット検索では、云々の表記がヒットする。

斯く書くともじって、はて、どうするか、どうなるか。

忘れること、思い出すことなどかれこれ、綴ってみようと思う。


なにやら文章を取り出して懐かしさにふける。

いまこのページの背景にdanpaがいる。


このゆかりに取り出してきたのがパンダ王国のはじめにの文章である。

かれこれ1年まえになるが、あらためてまだ1年(2012年の記事による)と思ってしまった。

なんとなれば、時間のたつのも早く、生き急ぎというのがあれば、その逆と言うのもあるかもしれない。縁起でもないとその実、大変な4年間を過ごしていたのであった。

2008年に見えた、ここにともにした思いは、不思議なものだ。誰もそんなふうには思っていない、だけれども、大げさに言うと、それがそうでもないのだが、生き残った者の思いには多くが感じられる。

そのうちに2011年となって、どうにもこうにも、人生の荒波は身体力にショックだったのか・・・・・。

いまこうしていると、その時の経過よりもこの1年の経過のほうがずっと早いような気がして、時計の針回しを進めすぎているのかもしれない。

以下は、その文章である。


パンダ王国に続いて、パンダ11王国として、11冊めをあらわしました。

 このパンダ王国は卒業を記念して編集をしてきました。2011年度は言語コミュニケーション学科第9期生の卒業の年です。ゼミそしてプロジェクトからは日本語コミュニケーションコースの学生6名の卒業生がいます。

   ご卒業、おめでとうございます。

 このゼミは不思議なゼミだと、プロジェクトの感想にわたしがつぶやきました。仲が良く、ともに切磋琢磨したことはもちろんのことあったのですが、こうした思いに加えて、そう、ゼミの居心地がよいのです。“Japanda”という、ゼミ発表から生まれたネーミングに、キャッチフレーズを“一緒に日本語しませんか”とは、なんともJapan-daではありませんか。

 ゼミの〆会では、ついに、これはミラクルだと、言いました。でもその意味を辞書で調べると言って、さっそくに、奇跡、かみわざ、と知リ頷きました。ジャパンダカフェの白黒は雰囲気にピッタリでした。そのときのミラクルは、ゆるきゃらパンダでした。見る、驚くという意味でもあり、ゼミの仲間たちが支えあったゼミ2年プラスのプロジェクトでした。

 ゼミは2,2でスタートして、そこに2があり、3,3になるか、4,2になるか、そしてやはり6になりました。5,1になったのは口惜しいですが、思い起こせば、日本語コミュニケーションコースのゼミは諸般の事情から1になってしまったのですから、なに、1でやるぞと、あと5できます。定年を迎えて感慨もひとしおのなか、1年ごとに生きていきましょう。

 日本語は中国語を取り入れてから英語を学びつづけて、埋もれようとしているかに見えますが、Japandaは生き残りました。ゼミの皆さんのおかげです。あのときに停まるわけにはいかない、このときに休んでいるわけにはいかないと、年を過ごしてきて、気付いたら素敵な優しい仲間に囲まれていました。2008年と2011年はわたしには生きるか死ぬかだった……

 ゼミの皆さん、ありがとう。似顔絵はいつみても、こちらが変わっていくのに、ずっと似ているんですよ、不思議と。描くタッチに一筆の思いがあるのを知れば、そのときの様子が思い出されます。ここに並んだパンダに、心から、ミラクルをありがとう!Japandaを、愛しています。君たちがいたから、こうして生き延びて、さらに復活して元気になります。

皆さんの行く先々に皆さん自身が健康で友情にかこまれ、そして愛情があるのを望んでやみません。仲間の前途を祝して、ご卒業、おめでとうございます。健康で、あかるい笑い声と活発な議論をしたゼミに集う仲間たちを友とし、これからの人生にすばらしい愛を得てすごしていかれることを祈念して、発表報告集の言葉を記します。


2012年3月19日



そしてこの表紙が素晴らしい。いつか、アップしよう。

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