生を享けて七十九年をむかえる、この日。これまでの人生で経験したことのない暑い毎日、夏が夏でなくなる日に猛暑日の日数記録をなお更新中である。この1年は持ちこたえるかと思ってきたが、これからの1年に体力はどうだろう。
2025年立秋の日 節入りは8月7日 (木)15時
立秋の期間 8月7日(木)から8月22日(金)
立秋の期間 8月7日(木)から8月22日(金)
生を享けて七十九年をむかえる、この日。これまでの人生で経験したことのない暑い毎日、夏が夏でなくなる日に猛暑日の日数記録をなお更新中である。この1年は持ちこたえるかと思ってきたが、これからの1年に体力はどうだろう。
八月三十日、みそか、名古屋の予想気温にダントツ40℃を伝える。
隣県、三重で40度超コンマ5ポイントの最高気温の記録を尻目に、まあ、39℃かな。
>三重 桑名と埼玉 鳩山町で40度超を観測 熱中症に厳重警戒を 2025年8月30日 14時52分 30日も各地で気温が上がり、関東と東海では最高気温が40度を超える命に関わる危険な暑さとなっています
夕陽は8月終わりの傾きになっているので空を赤く染めだす。暑い日差しに加減する風向きがあればよいのに、じりじりとうつりゆく。
暑さだけで体力が消耗する。熱帯夜は寝入りばなのエアコンで回避するも、明け方はタイマーで朝方の気温になる、その最低気温は27℃とか。
ウクライナの首都に攻撃とはロシアのミサイルが子供を含めた民間人の死者を出している。EUの建物も被弾してプーチンの停戦和平への意思なきことが透けて、恐ろしいことである。
聞こえてくるのは中ロに北朝鮮を加える9月3日に行われるパレード出席のニュースである。そこには米韓日に対抗する軍事戦略の目論見がある。この時に及ぶ政治アピールが国内の情勢を反映する。
相変わらず猛暑の日々に、ニュースは情報の確度で沸点に近いことばかり。
台風崩れ、熱低となり、日本全土に極端な天候が襲い続ける。25度の涼を求めたプチ気分転換で、行ってみた奥飛騨の先は土砂降りになってしまった、という情報で、難を避けた。
署名入りの総裁選の要求をする選挙管理とは、事前調査も、踏み絵も、顔ぶれを示せとばかりの、おかしな進め方に、選挙すれば党が割れるという党員の声には、すでに割れた状況をひび割れにするようなことである。
世論調査で総裁続投を画策するか、首相を辞めないでと言う半数の支持率に、調査対象の年齢層が補正されないままの世論操作とみられて、動員された辞めないでと言う日給1.6万円のデモとなるコールはどこかの国かと思ってしまう。
ウクライナの交渉は3度目のこととなってしまうか、核兵器放棄による取り決めで裏切られ、クリミアの一方的な占領に続いて、安全の保障をとしていても、相手がロシアのプーチン発想による3年にわたる侵攻でこうしてまた繰り返されようとしているかのようである。
切歯扼腕、ヘンタン、偏袒扼腕と言うのがあるそうで、grind one’s teeth with indignation に、片肌脱いでとなるのは、いかにも東洋の装いに見る喧嘩である。
誕生月のせわしいこと、バースデーケーキを求めて、ホールは注文だからと出かけてみたら、フォルテッシモは休業日だったりして、暑い中を東へ西へと駆け回った。フォルテシモ アッシュ FORTISSIMO Hのケーキは断念、次なるは――
夏日、真夏日、さらに名称はどうなるか。極熱、極暑と、読み方は、ごくねつ、きょくしょ、と言うのは、いかにも夏らしいかどうかと、サウナの温度具合のように聞こえる。そも40℃に設定するのは37℃超となるとあり得ないことだが、体温の常温も超える連日の超真夏である。
読む月刊誌は、Will 見る週刊誌はNews Week、この二つは定期にしている。
情報源の新聞購読はなくなったから、テレビをつけたら、定時のニュースはヘッドラインとチャンネルをネットサーフィンよろしく、あと、ニュースのワイドショーはとくに解説をその顔ぶれで見ない。
テレビチャンネルをまわしているときは朝日系、毎日系は要注意に、読売系、産経系は選択し、公共放送は番組制作に危ういと思いながら。BSにあるアジアドラマを流し見する。
となると、実に偏った情報に接していることになる。月刊誌をぱらりと見て、読んでしまったから、いまは気分がよろしくない。日本政治は民衆のレベルにない、とは、どういうことか。官僚の支配に変わったから、役人の考えることが民衆を操る道具として政治をやっている。
暑い盛り、酷暑の続く日に考えることでもないがーー
戦後80年には敗戦後の世代が高齢者となって、それに次ぐ三世代の世の変わりようがある。
そうなってて見えてくることがあるようで、その30年に戦後復興を目指して経済の実効に紆余曲折を受け入れることがあった。
1980年代後半から90年代初頭まで、その不況を経験、バブルと破裂という変動を経験することになるも、その推進役に団塊世代が奮闘していた。
長期の不況をとらえると30年に及ぶが、その間に、起こってくる。
次の世代にあらわれる日本分裂である、分裂とは仰々しくも団塊世代が継承したしらけ世代にあって、不況ではあってもその世代が育てた新人類、バブルとその価値観の変化にある。
就職難を迎えた日本景気のめぐりあわせにいた就職氷河期世代の生き延びに様々隠れていた様態が出現する。
日本で1986年-1991年までの 1980年代をバブル経済とみる
>しらけ世代1950年-1964年. 断層の世代, 1951-1960年以降
新人類世代(1955〜1967年頃生まれ)
高度経済成長期に子供時代を過ごしました。
保守的な価値観から、より自由で個人主義的な傾向へ変化が見られました。
バブル世代(1965〜1970年頃生まれ)
青春時代にバブル経済を経験し、消費に積極的でした。
経済的な豊かさを享受し、華やかなライフスタイルを特徴としていました。
就職氷河期世代(1970〜1982年頃生まれ)
バブル崩壊後の就職難を経験し、不安定な社会状況を背景に育ちました。
早期に社会に出たため、現実的で堅実な考え方を持つ傾向があります。
ウイキペディアによる
>
【団塊ジュニア世代】1971~74年頃生まれ
「団塊の世代」の子ども世代にあたり、第二次ベビーブーム。就職氷河期世代と重なる。
【ゆとり世代】1987~2004年生まれ
授業時間数の削減など「詰め込み教育からゆとり教育へ」の転換がはかられた時代に学齢期を過ごした。深夜まで働いて残業代を稼ぐよりも、ワークライフバランスを重視。「飲みに行くぞ」の誘いをきっぱり断り、上司をがっかりさせることもある。「ブランドのバッグがほしい」「カッコイイ車に乗りたい」など、バブル世代が縛られている物欲から解放されている。
学生時代からスマートフォンを使いこなし、SNSを駆使して横のつながりや「共感」を大切にする。「俺が、俺が!」と自己主張して生き残ってきたバブル世代には物足りなく映る。
【ミレニアル世代】1980~90年代前半生まれ
2000年紀以降に社会に出る世代。米国でマーケティング用語として使われていた言葉が日本にも入ってきたが、「ゆとり世代」とほぼ重なる。
【Z世代】1995~2010年生まれ
1995年~2010年頃までに生まれた世代。マイクロソフトがWindows95を発売して以降、つまり、家庭にパソコンが本格的に普及しはじめてから生まれた、真の意味でのデジタルネイティブ。ITリテラシーが高く、SNSを解しての情報収集、情報発信、人とのつながりを得意とする。
もともと米国では1960~70年代生まれを「X世代」、80年~90年代前半を「Y世代」と呼んでいた流れで、それに続く世代として「Z世代」と呼ばれるようになった。
団塊、バブル、氷河期、Z : それぞれの世代の特徴は? 社会 暮らし 2022.05.11
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00535/
財務省のしていることは言ってみれば大蔵省の会計にあった方針のようである。つまり税をとるというか、国民から税を集める役割の徹底である。
国民からというのが、法人税を含めて、経済の活動を製造業に見る、産業をそこだけに見て、働く国民を絞り上げる機能としての官僚機構である。いまの自由な市場に経済があるという、その原理をどう考えているか、ということで、財務となるはず。
それを、金融経済、市場経済をその視野に入れているかどうかがわからない。経済の原則を見るに、20世紀以前の19世紀型の産業経済のままにいるだけでなく、それを考える発想には経済原理にある農業主体の税の搾取そのままな前時代的な社会のありかたをする旧時代の政治家たちを操る官僚たちなのである。
https://www.youtube.com/watch?v=VPvW4Gleyhg
13327回 法人税増税の愚策 賃金上がらなくなる
髙橋洋一チャンネル
206,436 回視聴 2025/08/21に公開済み チャンネル登
https://www.youtube.com/watch?v=ZgouZXwP94w
1338回 GDP1%成長でも先行きは暗い!経済対策を打たない石破
髙橋洋一チャンネル
回視聴
2025/08/22
5年前の記事
政府の無策と言うが、論調ではPCR検査体制の不足をいうもの、そこにこの夏失ったものが高校野球大会との見出しになるのは、政府の策を検証してのことではない。この論法で東京オリンピック延期が政府の対策で防げた、というような、感染が拡大し続けるパンデミックにあって、とてもそれどころでない状況には、その対策をどう評価するかという、答えのない状況に当てはめて考えることになる。
PCR検査が必要である、その体制をもっと作らなければならない、というのは専門家会議の意見であった。その一方でPCR検査が不足しているという世論には、やっていないということではない、十分に検査が行われている、ということが強調されていた。
そして検査体制が整って医療になるところで、検査結果の対応が、日本では果たされにくいようであった。その理由に、保健医療制度、検査の疫学的観点、検査公表の世論がもつ人権尊重といった困難なことがあった。それはいまだにそうであるから、陽性反応者との接触を知らせるスマホのアプリは普及していない。
治療薬、治療法の確立しない段階で病院、診療所が受け入れられるかどうかは病院経営のことになる。病床数の不足は専門治療の医療機関が対応できていないことにあって、そこにあるのは病院関係者が抱える、なおせないものを収容する施設ではないという、ジレンマである。
クラスタ対策で目覚ましい対応を見せてきた専門家会議は、医療体制に不足を言う世論に押されて、第2波のオーバーシュートに向けては、医療機関の関係者が厚労省に突き上げる物言いが強くなったようである。ここで、分科会という委員会に変わった。世論のいうPCR検査をデータでとるという意見が取り入れられてしまったが、クラスター対策班はいまも地域に発生する様子を抑えるべく活動しているのに対して、医療機関の重症者への整備は一向に進んでいない。
https://www.mag2.com/p/news/462882/3
夏を失ったのは高校球児だけじゃない。政府の無策が日本人から奪ったモノ
2020.08.19
>感染拡大が長期化した1つの要因として、政府に「集団抗体(免疫)」を獲得するために、あえて静かに感染を拡大させる、という考えがあったといわれます。米国や英国にこの考えがあり、日本もその影響を受けた可能性があります。しかし、米国ではこの抗体保有者が10%を超えたようですが、日本では少ないサンプルながら、抗体保有者は0.1%から0.2%にとどまっているとの結果が出ました。
集団抗体ができて感染拡大が止まるには50%以上が保有する必要があるといいますが、米国でもまだ何年かかかりそうで、日本では話になりません。しかも、その抗体自体が短命との説があり、またウイルスが変異すれば、効かなくなります。それだけ集団抗体獲得を目指すやり方にはリスクが大きくなります。
>もう1つがニューヨーク市のが行ったことを、日本でも進めることです。つまり、ニューヨーク市では、街のほとんどのクリニックでPCR検査を無料で行えるようにしていて、誰でも何回でも受けられます。その結果、陽性となった人は、隔離して治療にあたる一方で、陰性が確認された人は大手を振って歩けます。ほとんどのニューヨーカーがPCR検査を受けていれば、少なくとも自分の状況がわかり、不安はなくなります。
それでも、他の州や街からやってくる観光客やビジネスマンがいるので、すべての人を識別できませんが、検査で陰性が確認された人には、認定カードをつくり、首からぶら下げて歩けば、第三者からも「コロナフリー」の人間と分かります。つまり、ニューヨーク市のように、国民全員にPCR検査を行い、白黒をはっきりさせることです。
高校野球のタイブレークを見た。なんと、県岐商と横浜、さらに日大三と、劇的な展開が続いた。タイブレークで勝って準決勝に進出、タイブレにークで負けて決勝にならずと、選手の思いはいかばかりか。
>2試合連続延長タイブレークの熱戦 県岐阜商は日大三に惜敗、決勝進出ならず 第107回全国高校野球選手権準決勝
タイブレークは延長10回に、そこでランナーが2塁、1塁と二人も出塁することになっているようで、これには、そうなんだと思った次第、12回までを戦ってサドンデスだったルールは13回に行われていたのに、ルールが変わって、時間短縮、健康配慮と大会運営側にある効率の発想のようだ。
延長試合による熱闘甲子園の伝説は伝統でなくなる。
朝日の陽射しが変わってきた。光陰がはっきりと深く差し込む。夏の移り変わり、そう、もう旬日残すところ十日ばかりとなる八月下旬である。
八月生まれだから夏の暑さに弱いか強いかというのは先天性のものでもあるまいし、この末日生まれでなにかという影響があるのかどうか、暑い日々に思う。
昭和、平成、令和の元号、時代で言えば昭和後半の戦後になる、それから平成を通して令和に共に生きる。昭和六十四年は一月六日まで、平成元年のときに大きな変化を自身に経験する。それは転換点となった。人生の街道を表裏と知る。
そうなると元号に合わせて思い起こすことに平成一〇年からの出来事には三〇年までの区切りとなる。まさに昭和と平成をまたいで転機を作り出してきている。おおよその私学二〇年のあと、官立一〇年に私学一〇年という人生街道である。まざまざと人間世間を知ることであった。
いま昭和六十三年、西暦一九八八年をしきりに思いめぐらす。
脳の働きに近い記憶、遠い記憶と、そのなかほどの記憶となるとずっと中ほどになる三十年、二〇二七年の退職まで一九七九年に職を得てからの期間は中ほどのいくつかとなる。
そこで一九八九年まで昭和の元号までが区切りとなることに思いをいたす。
その前には一九六九年から九年間の学業修行の時代があった。学生院生と研究員とした十年があり一九七九年に職制でと教育と研究職になってスタートしている。
38℃と予想気温をニュースで聞いて、あしたも名古屋は暑くなる。
第3日曜日、町内会の廃品回収に朝5時起きで組の仕事を8時半に終了した。
係の皆さん早起きである。よく見ると来ているものがジャケッツで首までぴしりとして膨らんだ風体の、見た目にも流行りの、それはファン付き上着であった。
涼しいのかと表情には汗をかいているから、どっちだろう。
新聞紙を家庭の廃品と持ち出す所帯はめっきりと少なくなった。
暑い日々に、また、37度前後の最高気温が予報に出ている。
盆明け、送り火のきょうは35℃で、体感温度はさらに高い。
フワと、外気の暑さがムーっと感じられる。
アラスカ会談は大統領のふるまいが対照されたようだ、曲者と巧者と言いたいところ・・・
https://www.youtube.com/watch?v=jNiAecI000o
【緊急ライブ】アラスカ会談が終了!直後解説スペシャル!
BOGDAN in Ukraine
チャンネル登録者数 35万人
回視聴 2 時間前にライブ配信
https://www.youtube.com/watch?v=a2paTR40lEA
1333回 日本の国民負担率は高いのか?下げる方法は…
髙橋洋一チャンネル
230,751 回視聴 2025/08/15
戦争を知らない世代が大多数、という。80年の間に地球上で起こった動きを知らない、学ばない、と言うのか、それはありえない。
気づくだけでも、朝鮮半島、ベトナム、イラク、湾岸、9・11、テロ、アフガニスタン、イラン、イスラエル、ロシアによるウクライナ侵攻と、などなど、10を超える戦争と紛争が繰り返されてきている。いまもガザの攻撃を目の当たりにするようである。
戦争にあるのは憎しみである。家族を失い、奪われる惨事である。戦争を忘れないというのは憎しみを持ち続けるということであり、それを後世に伝えるというのは憎しみの継承にほかならない。語り部もそれをいかに思い知らせるか、その役割を演ずる。
戦争を語ることを平和のためと言うならば二律背反にあることを知るべきである。
>https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA148VR0U5A81000.C2000000/
全国戦没者追悼式での石破茂首相の式辞全文は次の通り。
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場にたおれた方々。広島と長崎での原爆投下、各都市への空襲並びに艦砲射撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。
いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、全力を尽くします。
先の大戦から、80年がたちました。今では戦争を知らない世代が大多数となりました。戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません。
同時にこの80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。
歳月がいかに流れても、悲痛な戦争の記憶と不戦に対する決然たる誓いを世代を超えて継承し、恒久平和への行動を貫いてまいります。いまだ争いが絶えない世界にあって、分断を排して寛容を鼓し、今を生きる世代とこれからの世代のために、より良い未来を切りひらきます。
結びに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
盆 ぼに 中元
中元節はもともと民間の祖先崇拝の日でしたが、後に地獄の門を司る冥府の誕生日と定められました。この日、冥府は地獄への門を開き、亡くなった先祖が故郷に戻り、再会の場を得るとされています。そのため、中元節は中国三大鬼節の中で最も重要な鬼節とも呼ばれています。道教寺院では、さまよう鬼に食べさせるための蒸しパンが供えられます。この日、人々は祖先を崇拝し、墓参りをし、故人の帰り道を照らすために蓮華灯籠に火を灯します。道教寺院では盛大な儀式が行われ、幸運を祈り、故人の魂の解放を助けます。 - 中国の鬼節
https://www.youtube.com/watch?v=_WmXfJ4hVv8 1332回 快挙!日本の艦艇がオーストラリアで採用! 髙橋洋一 回視聴 2025/08/14
古い書付けが出てきた、感熱紙にキャノワードで打ち出している。
平成に年号が変わったは1月のことだから、この日付は昭和を見れば64年のことになる。4月で転出をしている。そこでゼミ生に別れを告げた。78年から89年までの日々に。36年前に過ぎる、きみとともに――
きみたちをみいだそう ひとひずつ
きみをしたいくるもの ひとひとと
きみをはげましゆくに ひとりごつ
われありともにいきる ひとしれず
きみたちとはなれゆく ひとたびは
きみにすすむみちあり ひとすじの
きみにおしえることの ひとときに
きみにおもいもあつく ひととひと
きみたちをおぼえよう ひとりずつ
きみがあゆむみちみち ひともゆる
きみがささげるはなの ひとひらに
きみがこころにのこる ひとことを
きみたちとまたあおう ひところに
きみのゆくてにのぞむ ひとむれの
きみのあたえつづけし ひとごこち
きみのいのちもわれに ひとところ
平成元年三月二十二日
合宿に きみとともに
3試合連続となる42号ホームランを放つ大谷選手がグランドを1周してベンチに戻るもどこか現うつとして、鬱に見えるのはどうしてか。先発投手だった由伸選手が6失点を許すマウンドだったためか。7点差をマンシー選手の3ランが続いて3点差まで追い上げたのを、どうもちぐはぐだった。つよいところ、よわいところと、これでいいんだろう。HR2本、ネト選手の活躍がまぶしい。
線状降水、豪雨被害、今日昨日と連休のニュースには九州地方災害の映像がうつしだされている、怖い日々となった。
高校野球選手権大会で強豪高校の不祥事が発覚して以降の試合には出場辞退の衝撃、1回戦を勝ち進んでいたが、暴力事案がSNSに拡散してその書き込みが引き金だった。高野連の対応にも及んで不祥事は明るみに出た。

夏休みに連休を入れているカレンダーとなると、
盆休み用向きらしいけれど 新暦による8月の、月遅れ盆に迎える、地域のお盆期間、
8月13日水曜日から8月16日土曜日、その前にくっつけた祝休日なんだが、もとは
休みで4日にすぎないものを、日曜で、5連休となるも、9日土曜からだと、なんとなんと。
晴れマークはきょうまでで、傘マークが並び始めた。日曜から3日ほど、天候が変わる。熱暑はそのあとにまたぶり返しそう。
https://www.youtube.com/watch?v=snsOHJ79zVc
8/9LIVE!今日は正義のミカタが休みにつき1人で解説【石破退陣へ&トランプ関税】
髙橋洋一チャンネル
回視聴 3 時間前にライブ配信
2013-12-02 記事より
石破氏が波紋を投げた絶叫デモはテロについて、特定秘密に関する保護法案には、12条で次のように書いている。
テロリズム
政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。
これについて、中日新聞の記事では、
①主義主張を強要する目的 恐怖を与える目的で辞とを殺傷
②主義主張を強要 恐怖を与える目的で人を殺傷
との、二通り解釈ができると説明している。
石橋はこの②にあたる解釈を立てているとする。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131201/k10013486071000.html
ニュース詳細
石破氏 ブログの「テロ」部分を撤回の考え
12月1日 18時7分
>自民党の石破幹事長は先月29日、みずからのインターネットのブログに、特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモに関連し、「主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は、決して世論の共感を呼ぶことはない。単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において、あまり変わらないように思われる」などと書き込みました。
石破氏は1日、富山県南砺市で講演し、「国会の周りに大音量が響き渡っているが、周りにいる人たちが恐怖を感じるような大きな音で『絶対に許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいのか。民主主義とは少し路線が異なるのではないかという思いがするが、もし表現が足りなかったところがあればおわびしなければならない」と述べました。
そして、石破氏は講演のあと、記者団に対し、「『テロだ』と言ったわけではないが、テロと同じだという風に受け取られる部分があったとすれば、そこは撤回する」と述べ、「テロ」という言葉を使った部分を撤回する考えを示しました。
石破氏 ブログの「テロ」表現改め
12月2日 12時41分
>自民党の石破幹事長は、ブログで特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモを「絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われる」などと書き込みましたが、野党などから批判が出ていることも踏まえ2日、「テロ」ということばを使った部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思う」と改めました。
そして石破氏は、政府与党連絡会議で一連の経緯を説明し、「法案審議の現場に迷惑をおかけし、深くおわびする」と陳謝しました。
石破氏は、このあとの記者会見で、国会周辺のデモについて「整然と行われるデモは民主主義に必要なことだが、一般の人に恐怖の念を与えたり、静穏を妨げたりすることは、いかなる主張であれ、やっていいことだとは思わない」と述べました。
酷暑炎暑と言う一方で線状降水帯だとニュースが伝える映像をみる。
その雨模様がまた全国を襲うようである。
降らないよりは降ったほうがよい、適度な湿り気が山川に必要な列島である。
とは、しかしそれを言うと、都市部に降る様子は違っている、またどかどかと雨をもたらす。
2013-08-01日本語百科の記事より
あめつちにひとがいる、この想は在来のものではない。
あめは天、つちは地、そしてそこに人がいる、素朴に、てん、ち、じん 天地人 について、世界を形成する要素であると宇宙空間に存在する万物とするか、ただに天を最上とし、地人の順となるようにするか。
天神地祇また神祇ということを言えば、そこには人はない。天津神、国津神と、日本神話で神の分類をする。どうして天池人とするか。説明を求めて、孟子、公孫丑章句上、一節の 天時不如地利。地利不如人和 (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)に由来する慣用句の省略形として、フリー百科事典は曖昧さ回避に言う。
天の時、地の利、人の和の意で戦略が成功する三条件を示すともされる、とも言う。辞書の例には、天と地と人。宇宙間の万物。三才。
*名語記〔1275〕四「天地人の三つにつかさどるを王といふと尺せり」
*太平記〔14C後〕三四・和田楠軍評定事「天地人の三徳三乍ら違(たが)ひ候はば」
*日葡辞書〔1603~04〕「サンサイ。Ten, chi, jin (テン、チ、ジン)」
というように見えるだけである。
そして易の思想にある、三才があり、陰陽である。
>易の思想 易は本来占筮の書で、これによって処世の道を決するのであるが、思想的には陰陽の変化をもって天地人三才の道を述べたもので、「説卦伝」に「聖人の易を作るや、まさにもって性命の理に順(したが)わんとす。ここをもって天の道を立つ、曰(いわ)く陰と陽と。地の道を立つ、曰く剛と柔と。人の道を立つ、曰く仁と義と。三才を兼ねてこれを両にす」とある。三才それぞれに陰陽の徳が含まれているのである。陰陽は相対立するものであり、自然界、人間界のすべての事象は、みなこの二者に配される。
>この陰陽は単に相対立するだけでなく無限に変化する。四季が循環するごとく、陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。この無限の変化作用を説いて「一陰一陽、これを道という」と易では説く。こうした変易する実相も、その実、不易な道によってたつ。そして生成発展をしてやまない。陰陽の二元によって説かれる原理は、まことに易簡であるが、その哲理はきわめて深遠といわねばならない。
日本大百科全書(ニッポニカ) 易 えき
また、次の説明がある。
>古代の支配者の尊号の一つ。原則として最高統治者に対して用いられる。この種の尊号としては起源がもっとも古く、文献では夏(か)、殷(いん)、周(しゅう)3代の王朝君主がすでに王を称しているが、甲骨(こうこつ)文、金文で確認できるのは殷王以降である。後漢(ごかん)の許慎(きょしん)は、『説文(せつもん)』において、「一で三を貫く」という孔子の説、その三とは天地人の三者であるとする董仲舒(とうちゅうじょ)の説を引き、王字の意味を「天下の帰往(おもむ)くところなり」と解釈している。そのほか「土」を「一」(統一)にする意と解するものなど、王字の成り立ちと字義については諸説ある。しかしこれらは、統一権力者がすでに存在している秦(しん)・漢(かん)時代以後の状況を前提にした付会の説にすぎない。近年の甲骨文、金文の研究によれば、「大」を含む会意文字、または権威を象徴する斧鉞(ふえつ)の象形文字であると理解されている。周代の王号は、天子と並ぶ君主の称号であり、天子に比べて、より現実的な地上の実権者を意味し、もっぱら臣下に対して用いられた。周王の権威が衰えるにつれて、春秋時代の楚(そ)王、呉(ご)王、越(えつ)王などの覇者のように、列国の君主(諸侯)のなかでも王と称する者が出現し、この傾向は戦国期に著しくなり、「戦国の七雄」はいずれも王として各地に君臨した。秦帝国では、唯一絶対の君主である皇帝が誕生し、王号の使用はなくなったが、秦・漢交代期には各地の実力者が王を称し、一時戦国の風が復活した。漢帝国が成立すると、郡県制が手直しされ、一部王国が設置された。この王国を分封された者が諸侯王であり、王号は天子に次ぐ最高位の爵称として序列化された。
同上 王 おう
ここにいたって、あめつち そして、 ひと は、古来の思想であって、果たしてそれはなんであったのか。
ふと和漢三才図会のあることを思い出したりしして、語の意義分類に現われた天地人がある。その淵源はまた――
>明の永楽帝は武力によって即位したが、文学を奨励した。彼は解縉(かいしん)(1369―1415)らに命じて大類書をつくらせ、『永楽大典(えいらくたいてん)』2万2877巻目録60巻が1409年に成った。一事項に全文を引用して、一大文庫を収める形式をとったものだが、清(しん)の乾隆(けんりゅう)帝時代にこのなかから『四庫全書(しこぜんしょ)』に十数部の逸書を収めた。しかし、この大著も散逸して世界に現存するものは800余巻にすぎない。明の有名な類書は万暦年間に集中している。馮〓(ひょうき)編『経済類編』100巻、徐元太(じょげんたい)編『喩林(ゆりん)』120巻、章〓(しょうおう)編『図書編』127巻、明末の董斯張(とうしちょう)編『広博物志』50巻、兪安期(ゆあんき)編『唐類函(とうるいかん)』200巻などである。なかで王圻(おうき)編『三才図会(さんさいずえ)』106巻は天地人あらゆる事項を14門に分類、各項を図説しており、現代の百科事典に近い。
『説文解字(せつもんかいじ)』(許慎(きょしん)編、121年)は「一、二、示」から「酋、戌、亥」までの540部
『玉篇(ぎょくへん)』(顧野王(こやおう)編、543年)は『説文解字』の12部を減らし14部を加えて542部
日本では、『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(900年ごろ)は「天、日、月、肉、雨」のように天地人という意義分類による約160部
『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』(平安末期ごろ)では「人、彳、〓」から「風、酉、雑」までの120部となっている。
茶道の資料館を訪ねるというので、京都までのドライブを観光なんだが、敢行した。
京都北に、裏千家の資館、表千家の会館はそれより少し下がる。どちらも興味み深かった。
齟齬、食い違うこと、日米関税交渉の上乗せという事実、かどうか。
文書をつくらなかった、その説明にはいまさらに齟齬はなかったと。
官房長官、首相と、記者会見で言いだしている、言わざるを得ない状態なのだろう。
どういうコトか、担当大臣は9回目の米国出張となって、何を話してくるのだろう。
込みの15%と上乗せの場合のそれでは、違いすぎるではないか。
2025-07-25 | 思い遥かに
ここのところ続けての不可解な話にーー
どうも国民はだまされたらしい、というか、首相にはめられたと感じてしまう、妄想が広がる出来事である。
何がどうかと、関税交渉に出かけたタイミングとその談話で言えば、
当初から投資のことを主張した日本政府、いや首相らしいのだが、
それはどうして早期に合意を見せていて6回目あたりの談話が怪しい。
しらじらと特使の予定するものも策もないと言って何回もアメリカに足を運んでいた。
ふたを開けてみれば、選挙後に交渉のサイン日程を組んでいて予測どおりの選挙結果にパッケージを外した内容のすでに合意していた交渉をしてきたのではないか。ということは、首相の指示のままに交渉交渉と言いながら、舐められてたまるかと選挙中にパフォーマンスをして、その時にはすでに約80兆もの投資と防衛費の増額を伝えてパッケージを外す段取りができていたのであるから、あの発言は日本は金がある、その金で大口をたたくという実情があったようである。
なんとも、国民をだまし続け、あげくには、3者会談と言いながら幹事長を交えての身体話は一切なかったというような嘘をついて知らを切り続けて、切り抜けて見せたのは、関税交渉の手の内の説明のためであったろうと、妄想が広がっていく。すべて、金に物言わせる財務省の筋書きだったのだろう。政治家が嘘をつくというパフォーマンスをしっかりと見せたのである。
この出来事にあんぐり口を開けて妄想してしまう。
2025-07-24 | 思い遥かに
関税交渉が急転直下、成立というニュースに、日本政府の交渉術が透けて、パッケージによると言っていたものが何であったのか、トランプ大統領のディールによる話し合い術を知ってかしらでか、ゴネにも見える7回におよんで相手にされなかったのはなぜだったのか。それが、大規模な合意と相互関税は15%と合意を発表した。航空機を100機、投資を約80兆円、収益は9割が米国のもの、などなど、と、一方的な結果が見えてくる。
偏西風が列島の上空を吹き抜ける、それがずっと北に上がって気象に影響している。
暦は二十四節気の、立秋。 期間というと、立秋は、8月7日―8月22日。
入れ歯を作って補聴器を調整して、あとは眼か、というところ、疲れ目になりやすい。
同窓会報が届く、2年後の同期会をもって打ち止めになる、高校卒業62年のキリは傘寿で。
数えでは傘をかぶるはこの8月だろうに、超猛暑に時節柄の日傘をまずはゆるりと参ろう。
資本主義国家の自由主義を経済に実現する、その経済の原則をよく知る為政者がいて政治をとっていく、執り行う、国のリーダーの知識経験が問われることになる。いま、賃上げを進める政府にその見通しなり、覚悟なりが、あるかどうか。賃上げが成長戦略の要とするのは、経済の動きに合わせたものでないとするなら、この思いには専制国家の独裁の思い込みがって、つまり経済の原則がわかっていなくて、いたずらな机上の理論となる。
>2025年度(令和7年度)の地域別最低賃金額改定に向けた目安が、厚生労働省の中央最低賃金審議会で答申として取りまとめられました。答申によると、全国平均は1118円となり、前年度から63円アップとなりました。引き上げ幅は過去最大となります。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_60788.html
令和7年度地域別最低賃金額改定の目安について
~ 目安はAランク63円、Bランク63円、Cランク64円~
本日開催された第71回中央最低賃金審議会(会長:藤村博之 独立行政法人労働政策研究・研修機構理事長)で、今年度の地域別最低賃金額改定の目安について答申が取りまとめられましたので、公表いたします。
>仮に目安どおりに各都道府県で引上げが行われた場合の全国加重平均は1,118円となります。この場合、全国加重平均の上昇額は63円(昨年度は51円)となり、昭和53年度に目安制度が始まって以降で最高額となります。また、引上げ率に換算すると6.0%(昨年度は5.1%)となります。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250804/k10014884421000.html
最低賃金 過去最大63円引き上げへ 全都道府県で1000円超に
2025年8月5日
>具体的には、2021年度が28円、2022年度が31円、2023年度が43円、昨年度が51円でした。その結果、最低賃金は全国平均で2023年度に初めて1000円を超え、昨年度は1055円になりました。
今年度は、全国平均で63円引き上げの目安が示されました。この目安どおり引き上げられた場合、全国平均の時給で1118円になり、5年連続で過去最大となる見通しです。
石破首相「賃上げこそが成長戦略の要」
石破総理大臣は、総理大臣官邸で記者団に対し「私どもの内閣の2020年代に最低賃金を全国平均で1500円にするという高い目標に配慮いただき、データに基づく真摯(しんし)な議論が行われた。本審議会での最終議論の前だが、公労使の皆様に感謝したい」と述べました。
その上で「賃上げでさらに経済が活性化し、事業体が伸び、それにふさわしい賃金が支払われるという好循環が期待される。それが実現するように最大限努力し『賃上げこそが成長戦略の要だ』ということを実現したい」と述べました。
https://www.youtube.com/watch?v=pDW6jZcwox4
1326回 最低賃金 石破左派政権が民主党を凌駕する大失敗 来年の失業率が上がる…
髙橋洋一チャンネル
回視聴 2025/08/05
コメントより
>零細製造工場の経営をしています。40人ほど雇用しています。
髙橋先生のお話し、まさに実感してます。
最低賃金が上がるとバランスを考えて最低賃金に関係ない人も含め全体的に上げざるを得ません。
実態に関係なくこんなに簡単に大きく上げられると経営がおかしくなります。
「うちの会社は国営企業だったのか...」と思うほど。限界を超えてしまい、笑ってしまうほどです。
惰性だけの政策を行う無能な政府には一刻も早く退いてもらわなければ。
賃金上昇に合わせて社会保険も上がりますしね。負担感が増すばかりです。
順序として売上から増えていくと良いのですが、、景気が上昇する気配はありません。
こんな愚痴ばかりではなく、売上拡大・雇用継続のための策は打って行ってるのですが。
いつも、チャンネルありがとうございます。
https://www.youtube.com/watch?v=pDW6jZcwox4
平常心は何か。禅宗の教えであるから、字義そのままである。
それに読み方がある。へいじょうしん でよいのだが、びょうじょうしん ともよむ。
そうすると、びょうじょうしんぜどう というふうに読んで、何かしら、奥義がありそうである。
へいじょうしん、これ、みちなり と言えば、これはこれで、求道の精神が見える。
この語を長安の都にはやる仏教として、白楽天が好むを知った。彼の詩文集にはその思想が現れる。そのことがあるをまた、研究留学をして唐代の文学を仏教から見るとどうであるかを学んだ。
それを知ったのは、2000年のこと、留学をしたもはその少し前であった。南開大学中文に3か月。奨学金留学をした。そのときを
もっで、禅宗の何あたるかを思い合わせるようになった。
それこそ平常心是道である。南洲禅の流れに馬祖を始祖とする。
ばそどういつ、と名前を読む。
8世紀の人、中国、唐の時代、漢州の出身で俗姓は馬氏。
諡は大寂禅師、地元の羅漢寺の資州の処寂の下で出家し、益州の長松山などで修禅した後、南嶽に向かい、懐譲の法を嗣ぎ、洪州の開元寺に移って法を広めた、とウイキペディアにある。
この師については、平常心是道の語で親しむところがある。
平常心、これ道なり。
平常心を、へいじょうしん、とばかり読んでいたら、びょうじょうしん、と読む、そうな。
その説明もあったりして、これみちなり、についても、ぜどう、というふうに、音読みをしていた。
その語録には、
>若欲直會其道、平常心是道。何謂平常心。無造作、無是非、無取捨、無斷常、無凡無聖。經云、非凡夫行、非聖賢行、是菩薩行。只如今行住坐臥、應機接物、盡是道。
とあり。
ウイクショナリーの読みは、
>若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。(維摩)経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只だ如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり、とある。平常心が、これ道たり、
とする。
2017年2月の記事より。
研究室を整理して、出るは、出るは、本が出てくる。よくまあ隠れていたもので、取り出しては、思いがよぎる。箱を10、積み上げては、これをどうするだろうと思案に暮れる。
講談社学術文庫の1冊、禅語散策、田上太秀さんの本、これは文庫の前には1987年に原本として、東書選書にある。
東京書籍で、30年前にお目にかかったか、ひらりとめくって、平常心是道とあった。
びょうじょうしんこれどう などと、振り仮名にある。この読みには、なじまないが、禅の言葉として、平常の心がこれ道である、というほうが、わかりよい。
しかし、これも平常心を、へいじょうしん とするのではなくて、びょうじょうしん とするのだろう。
日本国語大辞典を引いてみた。読みはそれぞれ、項目にするが、禅語と近代語の違いを見せる。禅語は知りうるところ、馬祖道一である。
その語の、無門関による南泉普願での問答が有名である。馬おじさんの言だと知り、その禅の考え方が唐の長安でもあったと知り、そこに白楽天が禅宗を奉じたと知った。
白香山詩集をひっくり返すように眺めて、語句を探していたわたしの探求は、思わぬことを知るきっかけとなった。
平成11年、1999年から、平成23年、1911年、その時の思いに、平常心是道は、歳月を経てめぐりくる。
ウイキペディアより
>馬祖道一(ばそ どういつ、709年(景龍3年) - 788年(貞元4年))は、漢州(四川省)の出身で俗姓は馬氏。諡は大寂禅師。
地元の羅漢寺の資州の処寂(648年 - 734年)の下で出家し、益州の長松山などで修禅した後、南嶽(湖南省)に向かい、懐譲の法を嗣ぎ、洪州(江西省)の開元寺に移って法を広めた。その独自な禅風は唐代の士大夫階級に受け入れられて一大宗派洪州宗を築き、百丈懐海や南泉普願など嗣法の弟子は88人を数え、それぞれが数多くの語録を残すので、後の禅宗に語録を重視する傾向をもたらし、やがてそれは公案を重視する臨済宗へと発展していった。
若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。(維摩)経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只だ如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり。
若欲直會其道、平常心是道。何謂平常心。無造作、無是非、無取捨、無斷常、無凡無聖。經云、非凡夫行、非聖賢行、是菩薩行。只如今行住坐臥、應機接物、盡是道。 -- 「示衆」
「もし、道というものをずばり言うとするならば、日常の心が即ち道である。そして何が日常の心であるかというと、それは肯定(よい)でもなく、否定(わるい)でもなく、取るとか捨てるというものでもなく、又、あたりまえでもなく、すぐれたものでもない」と言われました。
かくかく、しかじか、斯く書く詞か辞か、カテゴリーには。
然々だとおもっていたら、ネット検索では、云々の表記がヒットする。
斯く書くともじって、はて、どうするか、どうなるか。
忘れること、思い出すことなどかれこれ、綴ってみようと思う。
なにやら文章を取り出して懐かしさにふける。
いまこのページの背景にdanpaがいる。
このゆかりに取り出してきたのがパンダ王国のはじめにの文章である。
かれこれ1年まえになるが、あらためてまだ1年(2012年の記事による)と思ってしまった。
なんとなれば、時間のたつのも早く、生き急ぎというのがあれば、その逆と言うのもあるかもしれない。縁起でもないとその実、大変な4年間を過ごしていたのであった。
2008年に見えた、ここにともにした思いは、不思議なものだ。誰もそんなふうには思っていない、だけれども、大げさに言うと、それがそうでもないのだが、生き残った者の思いには多くが感じられる。
そのうちに2011年となって、どうにもこうにも、人生の荒波は身体力にショックだったのか・・・・・。
いまこうしていると、その時の経過よりもこの1年の経過のほうがずっと早いような気がして、時計の針回しを進めすぎているのかもしれない。
以下は、その文章である。
パンダ王国に続いて、パンダ11王国として、11冊めをあらわしました。
このパンダ王国は卒業を記念して編集をしてきました。2011年度は言語コミュニケーション学科第9期生の卒業の年です。ゼミそしてプロジェクトからは日本語コミュニケーションコースの学生6名の卒業生がいます。
ご卒業、おめでとうございます。
このゼミは不思議なゼミだと、プロジェクトの感想にわたしがつぶやきました。仲が良く、ともに切磋琢磨したことはもちろんのことあったのですが、こうした思いに加えて、そう、ゼミの居心地がよいのです。“Japanda”という、ゼミ発表から生まれたネーミングに、キャッチフレーズを“一緒に日本語しませんか”とは、なんともJapan-daではありませんか。
ゼミの〆会では、ついに、これはミラクルだと、言いました。でもその意味を辞書で調べると言って、さっそくに、奇跡、かみわざ、と知リ頷きました。ジャパンダカフェの白黒は雰囲気にピッタリでした。そのときのミラクルは、ゆるきゃらパンダでした。見る、驚くという意味でもあり、ゼミの仲間たちが支えあったゼミ2年プラスのプロジェクトでした。
ゼミは2,2でスタートして、そこに2があり、3,3になるか、4,2になるか、そしてやはり6になりました。5,1になったのは口惜しいですが、思い起こせば、日本語コミュニケーションコースのゼミは諸般の事情から1になってしまったのですから、なに、1でやるぞと、あと5できます。定年を迎えて感慨もひとしおのなか、1年ごとに生きていきましょう。
日本語は中国語を取り入れてから英語を学びつづけて、埋もれようとしているかに見えますが、Japandaは生き残りました。ゼミの皆さんのおかげです。あのときに停まるわけにはいかない、このときに休んでいるわけにはいかないと、年を過ごしてきて、気付いたら素敵な優しい仲間に囲まれていました。2008年と2011年はわたしには生きるか死ぬかだった……
ゼミの皆さん、ありがとう。似顔絵はいつみても、こちらが変わっていくのに、ずっと似ているんですよ、不思議と。描くタッチに一筆の思いがあるのを知れば、そのときの様子が思い出されます。ここに並んだパンダに、心から、ミラクルをありがとう!Japandaを、愛しています。君たちがいたから、こうして生き延びて、さらに復活して元気になります。
皆さんの行く先々に皆さん自身が健康で友情にかこまれ、そして愛情があるのを望んでやみません。仲間の前途を祝して、ご卒業、おめでとうございます。健康で、あかるい笑い声と活発な議論をしたゼミに集う仲間たちを友とし、これからの人生にすばらしい愛を得てすごしていかれることを祈念して、発表報告集の言葉を記します。
2012年3月19日
そしてこの表紙が素晴らしい。いつか、アップしよう。
ここにあり なにおもう
ここにありき なにおもい
ここにありして なにおもえ
ここにありけりと なにおもおう
ここになしとは なにもなきゆえ
ありとなしと うつろいゆく ときに
パンダが白黒なのはなぜか。しろくろ、黒白 こくびゃく の読みには。
白と黒とを濃淡で好む民族は日本ぐらいか、そのパンダの色合いは謎である。
熊だから、熊の色をしていていいと思う。
熊の色は何色か、黒色がある、白色がある、茶に、褐色に加えて、明るく、暗くにもあるから、白黒のがあってもふしぎではない。
棲息地はどこかと、
>ジャイアントパンダ(Ailuropoda melanoleuca)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)クマ科ジャイアントパンダ属に分類される食肉類。中国大陸で進化し、アバ・チベット族チャン族自治州域内が主たる生息地である。 というふうに、ウイキペディアは説明する。
さらに、その名前については、
>「panda」という呼び名の由来については、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」(cf. レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説
などがあると解説して、それはネパール語のどの辞書にもないとか、どうなっているのでしょうね。
ちなみに、次のような不思議なこともある。
>中国語ではパンダは「熊猫」(熊貓 / 熊猫、xióngmāo; シュンマオ)と呼ぶが、台湾では「猫熊」(貓熊 / 猫熊、māoxióng; マオシュン)が一般的である。
めぐりめぐる
めぐりゆくといいはするものの
ネットサイドできざむながれは
たしかにもどらぬときをしらせ
めぐりつづけることにきづく
いとなむおもいおわれおわれ
こころのありかをことばにして
ああこうでもないああでもない
こるこころにひそみゆくもの
めぐる めぐる
と うたった あのしらべに
やさしさも
かなしさも
はかなさも
すべて めぐって
いつか
まともに みる
したたかさに
あさはかさに
おだやかさに
すべて めぐり
いつか
さえて ゆきめぐる
その日のわれに
めぐる めぐる
いつの日にか
いつの日にか
とことこ とこ
とこ とことこ
とことことこと
ここ とことこ
とこん とこん
とここ とここ
くものうえにきた
微笑み
そのほほえみは
ゆれた すこし
じいと見つめた
そのまま いて
そのまま みて
民族じゃなくて、民俗だろうに、ミンゾクはどうなったかと検索してみて、でてきた、でてきた、ヒットしたのは柳田国男、折口信夫とあいかわらぬ研究者名の古さには文化人類学という皮衣ができた、のだった―――しかし柳田国男はフォークロアーとエスニシティ―を論じているようだから。 人類学と文...