2026/06/15

令和八年六月十五日 月曜日 民俗にあるもの

 民族じゃなくて、民俗だろうに、ミンゾクはどうなったかと検索してみて、でてきた、でてきた、ヒットしたのは柳田国男、折口信夫とあいかわらぬ研究者名の古さには文化人類学という皮衣ができた、のだった―――しかし柳田国男はフォークロアーとエスニシティ―を論じているようだから。


人類学と文化人類学の違い  AI による概要               人類学とは「人間」を総合的に研究する学問です。このうち、言語や社会制度、生活様式などの「文化的な側面」を研究するのが「文化人類学」です。両者は別々のものではなく、人類学という大きな枠組みの中に文化人類学が含まれています。人類学と文化人類学の具体的な違いと関係性は、以下の通りです。1. 人類学(上位概念:Anthropology)人間を生物・歴史・言語・文化など、あらゆる側面から総合的に理解しようとする学問です。欧米では主に以下の4つの分野で構成されています。文化人類学: 社会や文化を研究する。自然人類学(形質人類学): ヒトの進化や生物学的特徴、遺伝などを研究する。考古学: 過去の遺跡や遺物から人間の歴史を解き明かす。言語人類学: 言語と文化・社会の関係性を研究する。2. 文化人類学(下位概念:Cultural Anthropology)人類学の4分野のうちの一つです。世界中のさまざまな民族や地域の社会構造、宗教、芸術、慣習などを研究します。最大の特徴: 実際に現地に長期間滞在して調査する「フィールドワーク」を重視します。目的: 「当たり前」だと思っていた自分の文化の偏りに気づき、「人間とは何か」という普遍的な問いを探求します。違いを簡単に言うと、「人類学」が人間に関するすべての研究分野を含む大きな傘であるのに対し、「文化人類学」はその傘の下で、人々の暮らしや文化に焦点を当てた専門分野を指します。

2026/06/14

令和八年六月十四日 日曜日 民族にあるもの

 民族の由来、民俗の由来、どちらが意味するか、まずは。

>共通の言語や宗教、歴史的伝統を共有し、同じグループに属しているという「帰属意識」を持つ人々の集団を指す社会学・人類学用語として使われます。

>明治時代初期に西洋の概念(nationやethnic group)を翻訳するために日本で作られた新しい造語(新漢語)です。语言、文化、歴史などの共通の出自や特徴 をもとに、人々が一体感を抱く集団を指します。

AIの概要、論文の定義ような、そして、ウイキペディアによる。

そして次は、どうか。

>「民俗」という言葉は、ドイツ語の「フォルクスクンデ(Volkskunde)」や英語の「フォークロア(Folklore)」の訳語として明治時代に誕生しました。民間伝承や習俗などを研究する「民俗学」の対象として用いられ、一般民衆に支持・伝承されてきた言語や行為、信仰を指します。

>民俗学や社会学において、「民俗」は以下のような幅広い生活文化の要素を内包しています。年中行事: お盆、正月、節句など季節の節目に行われる儀礼や祭り。通過儀礼: 出産、七五三、成人、結婚、葬儀など、人生の節目における習俗。民間信仰: 土地の神、祖先崇拝、妖怪、迷信など、人々の生活に根付いた価値観や畏怖の念。口承文芸: 昔話、伝説、民謡、俚諺(ことわざ)など、言葉を通じて語り継がれてきたもの。

こうしてみると、ともに翻訳用語を指すことになるが、学術的には社会学に用いることがあり、いっぽうでは人類学に、もう一方では生活文化の要素にも重なる。

言葉の定義にある日本で作られた新漢語という説明には民族の渡来という意味内容を感じてしまうようである。これは偏見となるか。それでは習俗、生活の価値観などには区別があって深く根差すものがあることになる。

2026/06/13

令和八年六月十三日 土曜日 空白の世紀

 AIの概要 対話したら

国家の起源 日本古代史に4世紀があったか 日本列島に存在した邪馬台国(3世紀)と「倭の五王」の時代(5世紀)の間に位置

3世紀の『魏志倭人伝』から、5世紀の『宋書倭国伝』に至るまで、中国の正史から日本の動向に関する記述が約150年間完全に消滅

纒向遺跡の誕生と「都市」の成立(3世紀初頭)奈良盆地の南東部に位置する纒向遺跡(まきむくいせき)は、3世紀初頭に突如として現れた日本最古の計画都市です、出土する土器の約3割が、東海・北陸・山陰・九州など日本各地から持ち込まれたものでした

 邪馬台国と「畿内・九州論争」中国の歴史書『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国(3世紀前半)は、倭国の乱を収めた女王・卑弥呼が率いた30国余りの共同連合体です。これが後のヤマト王権へとどう繋がるかは、今も2つの説が対立しています。纒向遺跡を邪馬台国の中心地とし、卑弥呼の死の時期と一致する大型の「箸墓(はしはか)古墳」を彼女の墓とする説です

前方後円墳の登場と政治的秩序(3世紀後半)3世紀後半になると、日本独特の王の墓である「前方後円墳」が全国に広がります。これは、ヤマト王権を中心とした「前方後円墳体制」と呼ばれる統治システムの誕生を意味します

東アジア外交と中央集権化(4世紀〜5世紀)中国の記録が途絶える「空白の4世紀」を経て、5世紀には『宋書』に「倭の五王」として知られる大王(のちの天皇)たちが登場します


2023年の発表で日本中を震撼させた奈良市・富雄丸山(とみおまるやま)古墳の最新発掘調査は、文字通り「空白の4世紀」の常識を覆しました。
出土した「超弩級」の国宝級遺物は、ヤマト王権が単に近畿の一勢力にとどまらず、東アジア全体を見据えた驚異的な軍事技術力と、地方を圧倒する経済・宗教的ネットワークを4世紀後半にすでに確立していたことを雄弁に物語っています。
この最新発掘から見えてきた、4世紀の王権の本当の姿を3つの視点から解説します。
1. 2.37メートルの「蛇行剣」が示す、圧倒的な軍事・技術革命
富雄丸山古墳の粘土槨(ねんどかく)から出土した蛇行剣(じゃこうけん)は、長さが2メートル37センチ、幅約6センチという、これまでの東アジアの常識を遥かに超える巨大さでした。
  • 東アジア最大の鉄器:4世紀の朝鮮半島や中国にも、これほど巨大な鉄製品を一度に鋳造・鍛造した例はありません。ヤマト王権が半島から「鉄素材」を輸入するだけでなく、列島内で世界最高峰の鉄器加工技術(およびそれを支える渡来人技術者集団)を完全に掌握していたことを証明しました。
  • 大王に匹敵する「軍事指導者」の存在:富雄丸山古墳(直径109メートルの日本最大の円墳)は、大王(のちの天皇)の墓ではありません。大王を支えた有力な側近、あるいは軍事・技術部門を率いたトップの墓とみられます。大王の周囲に、これほどの技術を持つ強力なサポーターが存在したことが王権の強さの源泉でした。
2. 「鼉龍文盾形銅鏡」が明かす、独自の宗教・精神支配
蛇行剣とともに見つかった鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)は、これまでの「鏡=丸いもの」という概念を覆す、日本初の盾の形をした銅鏡(縦64センチ、横31センチ)でした。
  • 「国産」によるデザインの独自性:かつて卑弥呼の時代(3世紀)は中国から贈られた鏡(三角縁神獣鏡など)を地方に配ることで権威を示していました。しかし4世紀後半のヤマト王権は、中国の「鼉龍(だりゅう:ワニに似た想像上の獣)」の文様を使いつつも、日本独自の「盾形」という呪術的・軍事的なデザインの鏡を自ら設計・製造していました。
  • 邪悪を退けるシンボル:盾は防具であり、鏡は光を反射して魔を払う道具です。これを組み合わせた巨大な神器を保有していたことは、ヤマト王権が「武力」だけでなく、「宗教的・呪術的な権威」によっても列島内の地方豪族を精神的に平定・支配していたことを示しています。
3. なぜ4世紀後半にこれほど「尖った」遺物が生まれたのか?
この巨大な剣と盾形鏡は、実際に戦うための武器ではなく、儀礼や権威の象徴(最高峰のセレモニー用具)です。なぜ4世紀後半のヤマト王権は、これほど規格外の遺物を造る必要があったのでしょうか。
背景にあるのは、前述した高句麗の南下と、朝鮮半島における国際戦の激化です。
地方豪族への「力の誇示」:「いまヤマトに従えば、世界最先端の鉄と、神がかった呪術の力を分け与えることができる」という圧倒的なプレゼンテーションカードとして、これらの超巨大遺物が機能したと考えられます。
軍事同盟の強固化:朝鮮半島へ大軍を送り出すためには、列島内の地方豪族(吉備、筑紫、毛野など)の軍事力をヤマトの下に一元化する必要がありました。富雄丸山古墳の被葬者は、まさにその「軍事同盟」をテクノロジーと宗教の力でまとめ上げた立役者だった可能性が極めて高いのです。
文字の記録がない「空白の4世紀」ですが、富雄丸山古墳の土の中には、東アジアの戦乱を生き抜くために、どこよりも貪欲に技術を吸収し、急速に巨大化していったヤマト王権のリアルな熱量がそのまま保存されていました。
4世紀末、ヤマト王権は高句麗と激しい戦いを繰り広げました(好太王碑の記録)。5世紀に入ると、ヤマト王権は力による解決だけでなく、「中国皇帝にお墨付きをもらう」という法的な外交戦を仕掛けます。 「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍」という超ロングな肩書きを要求:これは「倭国(日本)だけでなく、百済や新羅など朝鮮半島南部の軍事指揮権はすべて自分(倭王)にある」と中国に認めさせようとしたものです。
結果と妥協:宋の皇帝は、すでに独自の地位を築いていた「百済」を除くなどの修正を加えつつも、倭王に高い将軍号(安東大将軍など)を与えました。ヤマト王権はこの国際的な「ブランド(官爵)」を背景に、半島での鉄資源ルートを有利に確保し続けようとしたのです

五王の最後である「武」(ワカタケル大王/雄略天皇とみられる)が478年に宋の皇帝に送った上表文(手紙)には、彼らの自信に満ちた戦略が克明に綴られています。 [1]
「我が祖先は、自ら甲冑を身にまとい、山川を駆け巡り、東は毛人(えみし)の国55国を征し、西は衆夷(熊襲など)66国を服従させ、海を渡って北の朝鮮半島95国を平定した……」 [1]「実力」のアピール:この手紙は単にへりくだるものではなく、「我々はこれだけ自力で東アジアを平定した実力組織である」という強烈なプロモーションでした。実力を誇示しつつ、最大の敵である高句麗を牽制するため、中国との軍事的な連携(同盟関係)を有利に結ぼうとしたのです


 5世紀後半の「倭王武(ワカタケル大王/雄略天皇)」の時代は、日本列島において「文字(漢字)の実用化」と「中央集権化(地方支配)」が完全に連動して機能し始めた画期的な転換期です。

それまで「呪術の記号」や「中国からの贈り物」にすぎなかった文字が、この時代に初めて国内の統治システムを動かす実用的な道具へと進化しました。
この文字の普及と中央集権化のリアルな実態を、歴史を揺るがした2本の鉄剣(刀)の最新研究から解説します。
 2本の鉄剣が証明した「全国規模の命令ネットワーク」
1970年代から80年代にかけて、日本の東と西で「ワカタケル大王」の名が刻まれた5世紀後半の鉄剣(刀)が相次いで出土し、日本中に衝撃を与えました。
埼玉古墳群・稲荷山古墳(埼玉県):115文字の金錯銘(きんさくめい)が刻まれた「稲荷山古墳出土鉄剣」
江田船山古墳(熊本県):75文字の銀錯銘(ぎんさくめい)が刻まれた「江田船山古墳出土鉄刀」 [1, 2]
この2本の発見が意味するのは、現在の関東(埼玉)から九州(熊本)にいたる広大な範囲に、「ワカタケル大王の命令が文字で届き、地方豪族がそれを記録して誇る」という全国規模の支配ネットワークが完成していたという事実です

2026/06/12

令和八年六月十二日 金曜日

 この国の成り立ち、民俗の由来、国家の構成と、あと加えて外来思想に氏族と固有文化の発想を現代の視点で整理する、そうなると露わになるものは何だろうか。日本、日本人と自覚するはその係累には何あろうか。四周の海洋と絆にするは国土の山々である。ここに寄り添うものだけが持つ、邦である。郷、里なのである。

2026/06/11

令和八年六月十一日 木曜日

 世の仕組みを考える、考えさせられる。考えなくともいいことだった。しかしそういうめぐりあわせになるらしい。議会の総意で決まったというのが、皇族男系を養子に迎えるという案で、誰のこと、誰のためにかと思うわけである。ばんせいいっけい、と変換候補がでると。

万世一系と打ったら、となる。初出は、

>「万世一系」という言葉は、幕末の1867年に公家の岩倉具視が政治文書(「王政復古議」)の中で使用した Wikipedia 

と見える。それを、明治になって

>伊藤博文が起草した『大日本帝国憲法』の第1条で「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と明記   同上

と用いられた。王政復古のイデオロギーに見える。

2026/06/10

令和八年六月十日 水曜日

 少しは良くなったかなと歩いて見るもそうたやすいことではなかった。まさに筋肉の衰えが骨にかかわって関節がすぐにばててくる、腰が保てなくなる、リハビリが必要となるゆえんである。保存療法の経過はどうであるか、その体験を記すものがない。薬を減らすということは。

2026/06/08

令和八年六月八日 月曜日

オンライン、対面授業を一コマ90分内であわせて行った。オンラインと言ってもビデオどりをしたものだから、いきなり外は雨ですねという挨拶から始まってしまった。実は昨夜の収録だから日が変わって今朝の空模様れとなって、天気が良くなってそれでずれてしまったわけ。 

その授業時に間に合うように出かけた。およそ60キロ先のドライブで、9時から10時半までの出勤をして、腰痛は大丈夫なのか。

2026/06/07

令和八年六月七日 日曜日

 きょうはなにがなにして、パソコン三昧、そちらに神経が集中すれば、こらえられる、か。薬の処方29日分がなくなるから、週明けにはもらいに行くか。具合はどうなんだろう、よくなったり、なったりと自己診断して、今日は何が、きのうは何した、と。

2026/06/06

令和八年六月六日 土曜日

 4冊目の編集は講演集ができる。ことばとコミュニケーションというタイトルはいかが。3冊目は入稿待ち。よせあつめになりかねないところ、編集者の厳しいまなこに、妥協は許されない。外歩きもままならない、ここひと月の行動不足には、その衰えの方が恐い。転ばぬよう。

2026/06/05

令和八年六月五日 金曜日

 曇りが続く。低気圧が3個4個と西から押し寄せる。気候の変化を見に受けて神経痛はいやだなと、その一方で、痛みの感覚が変わってきた。薬も2日分をもって29日処方がひとめぐり。このままで週明けが迎えられればその変化を喜べると言い。

2026/06/04

令和八年六月四日 木曜日

 集はじまりから、それは毎週のことで過行く時間を眺める。神経が傷ついているなどの宣伝はこの症状を和らげることを謳わなくなって、根本治療だとか神経の修復だとか、本当にそうなるのか。

2026/06/03

令和八年六月三日 水曜日

 台風6号は太平洋上を通り抜けた。日本レットをかすめたか、紀伊半島あたりが最接近のように、三重県で雨の降りかたに線状降水帯発生の模様、沿岸地方は暴風にあっている。

>台風6号は3日午前4時半頃、和歌山県南部に上陸し、東海や関東地方に進んだ。気象庁は一時、和歌山県を流れる 古座川こざがわ を対象に、命の危険がありただちに安全確保を求める「レベル5氾濫特別警報」を発表した。短時間に大雨をもたらす「線状降水帯」も相次いで発生し、各地で記録的な大雨となった。  台風6号で関東など線状降水帯相次ぎ発生、和歌山・古座川は初のレベル5警報…9都県82万人に避難指示  2026/06/03 11:27

2026/06/01

令和八年六月一日 月曜日 

 月変わって、何かを思い出す、60年のうちの40年前にはどうだったろうか。

260601ーー860601――85年はその前年、およそ40年前になる、この1年にはわたしに何が起こっていたか。発端は直接するそのまた1年前の84年にあったかは定かではない。79年から助手職を得て80年になって、プロモートは81年からの専任講師である。

80年からの4年間はまず日本語研修をスタートさせていたし、81年から84年には全国学会を3年連続招致し、あわせての新人教師と活躍を共にした。2年の研究助手のあとには2年ごとのプロモ―ションと順風満帆のよう、それを受けてつぎつぎに組織の新事業を展開していた。


令和八年六月十五日 月曜日 民俗にあるもの

 民族じゃなくて、民俗だろうに、ミンゾクはどうなったかと検索してみて、でてきた、でてきた、ヒットしたのは柳田国男、折口信夫とあいかわらぬ研究者名の古さには文化人類学という皮衣ができた、のだった―――しかし柳田国男はフォークロアーとエスニシティ―を論じているようだから。 人類学と文...