2026/04/18

令和八年四月十八日 土曜

多民族社会というのはあるが、多国籍社会というのは多文化共生社会の謂いだろうか。総務省の定義があるよう。>総務省によると「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」。

さて、中日新聞に連載する記事に、多国籍社会という語が見える。

> 「ホーミー」はhomie―。連れやダチといったところでしょうか。9カ国の住民による共生への取り組み。「多国籍社会」の新たな連載

いまのところ、次が掲載されている。住民の7割が異なる国から。

(1)「日本の習慣だもんで覚えてください」 多国籍の愛知県西尾市「県営緑町住宅」手探りの共生

(2)顔かたちは日本人と変わらないけど…、一番の問題は言葉 急増した「デカセギ」日系人

(3)「何でも一つの袋に入れる」外国人のごみ分別問題、90年代に自治会長務めた男性は市役所に啖呵を切った

(4)「マジで私か…」ブラジル生まれの日系―-三^2世が自治会長に 役員18人中15人が外国にルーツ



https://www.youtube.com/watch?v=Xuh7GVUtG-U【緊急速報】テレビでよく見る「あの人」…日本人でない可能性が浮上してきました 【門田隆将 中国】武田邦彦 非公式ブログ  >@なごなご-u9f    13 時間前   この事件は日本のマスコミが自ら国際社会にさらけ出した国家的な恥というべき事件である。誰でも各国の言語にAIで翻訳できる、現在のネット社会にもはや国の垣根などない。日本のテレビ番組がいかに偏向し、いかに差別的な現説を垂れ流しているか、その認識が世界基準の常識として定着しつつある。私たちはコメンテーターの無責任な発言で日本の国全体のイメージがいかに傷つけられるのか、それが知れ渡ってきた。こうした差別主義者が公平なコメンテーターの仮面をかぶり、毎日お茶の間に平然と情報を届け続けている事実にもっと強い違和感と怒りを持たないと、グローバル社会で自分たちの生活を守れなくなる。テレ朝は報道の原点に立ち帰れないなら、公共の電波を使い発信する資格はない。彼らはいずれ自らの無責任さ、無謝罪体質、対国民への傲慢さに足を掬われる。国、国民のために本人も、テレ朝にも甘い態度を許してはいけない。


0 件のコメント:

コメントを投稿

令和八年六月十五日 月曜日 民俗にあるもの

 民族じゃなくて、民俗だろうに、ミンゾクはどうなったかと検索してみて、でてきた、でてきた、ヒットしたのは柳田国男、折口信夫とあいかわらぬ研究者名の古さには文化人類学という皮衣ができた、のだった―――しかし柳田国男はフォークロアーとエスニシティ―を論じているようだから。 人類学と文...