「論(あげつら)う」という作法の消失
わたしの学生時代、大学はまさに紛争の嵐が吹き荒れる直前でした。 キャンパスで語られる「真理の探究」という言葉が、よりどころとなるおもいがあったことを覚えています。わたしが求めていたのは、高尚な形而上の議論ではなく、この疾風怒濤の悩みに対する「形而下」の回答、つまり実質的な生の指針でした。
そこでわたしたちは、互いの論を「あげつらい」ました。 「あげつらう」とは、本来、事の良し悪しを並べ立て、その理を究める議論の作法を指します。しかし、いつしかこの言葉は、欠点だけを突きにいく「否定的な非難」と同義になってしまいました。
なぜ、わたしたちは「批判」を「非難」と取り違えるようになったのでしょうか。 建設的な議論が、いつの間にか「モノ言えぬ空気」に取って代わられたのは、わたしたちが言葉を「知の研磨」としてではなく、「相手を屈服させる武器」として、あるいは「同調への圧力」として使い始めたからかもしれません。
日本哲学の源流:仏教という「論理」の衝撃
日本の哲学的な「論理」の夜明けは、仏教の伝来にありました。 それまでの漢字(儒教・道教)の渡来が、主に統治や道徳という「王の道」を説くものであったのに対し、漢訳仏典がもたらしたのは、精緻きわまる「内典」の論理、すなわち個の「苦から逃れる道」でした。
経・論・釈という体系的な注釈の営みは、単なる暗記ではなく、徹底した「問答」と「論述」の連続です。古代の知識人たちは、この外来の巨大な哲学体系を前に、自らの言葉でどう注釈を施し、どう議論を立てるかに腐心しました。
そこには、単なる教義の受容ではない、日本語というフィルターを通した「知の作り方」の格闘がありました。私たちが「日本語で哲学する」ことのルーツを辿るなら、この経論釈の熱気に満ちた時代へと立ち返らざるを得ません。
「ひと」という響きに宿る、生と死の形
わたしたちは、人間という存在を語るとき、いつの間にか「人類」や「社会的な存在」という、乾いた漢語の枠組みで捉えがちです。しかし、本来の日本語における「ひと」とは、もっと生々しく、かつ幽かな、生と死の境界線上に漂うものではなかったでしょうか。
死を「みまかる(身罷る)」と言い、この世から引き下がり、隠れることとする。 生を「あれます(現れます)」と言い、この世に形を成して現れることとする。
この「あらわれ」と「かくれ」の往還のなかに宿る「たま(霊)」こそが、わたしたちの心の根源にあります。哲学は長らく「理性」や「ロゴス」を論じてきましたが、この「ひと」の根底にある「たま」の震え、あるいは西田哲学が捉えようとした「救うものと救われるものが同一である」という自己存在の深淵を、どれほど明らかにしてきたでしょうか。
「ことわり」——言葉で事を分かつ作法
日本語における「哲学」の核心を突く言葉、それが「ことわり」です。 現代では「お断り(辞退)」という限定的な意味で使われることが多いこの語も、その根源を辿れば、日本人の知の作法が見えてきます。
国学者が説いたように、それは「事を割る(分かつ)」こと。 混然一体とした世界に、言葉という楔を打ち込み、理非を判別し、筋道を正す。
「言(こと)」によって「理(り)」を明るみに引き出す——。
もし「ことわり」を「言理」の訓読みと捉えるならば、それは単なる論理(ロジック)ではなく、言葉を発することそのものが、世界の筋道を整えていくという、極めて動的な営みであったはずです。
「人間(じんかん)」という世のなかで
「ひと」が「ひとびと」となり、それが「人間(じんかん)」という世の中を形作る。 「ヒト」という生物学的・音声的な形式と、「人」という内省的な意味内容。
この対比のなかに、私たちが「日本語で哲学する」ことの足場があります。
若き日に『三太郎の日記』を手に、自己のあがきを「救われる側」として見つめていたあの頃の感性は、いま、膨大な言語学的・文献学的知見と重なり合い、より強固な「日本語哲学」の輪郭を結ぼうとしているように感じられます。
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