2026/05/05

令和八年五月五日 火曜日 連休4日目

 平和憲法といい、平和運動となり、平和のための活動が、子供のこと、世代を考えない議論がみにくい。

自分と子供とどちらが優先するかと問えば、その議論の輩は子供達のためにという。その子供世代の勇気と闘志と武器を奪ってしまって与える平和は口先だけの自分たちの思いを引き継がせないというのは、よく考えると、逆立ちの理論である。

戦争が絶対にけないというのは自己中心的で自分とそれまでの世代しか考えていない。その思いは自分と先の世代に刻まれた思いだけで会って、これからの子供たちにさらにむざむざと素手でいるむなしさがわかっていない。

もう少しわかりよく言えば、そこにあるイデオロギーだけに終始している、自分たちの主張を見直すことができない。

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