2025/04/21

真夏にか初夏なのかという小満 4月21日2025年

 小満と文字からするとすこしだけ満足を得るとなる意味だそうでそれは麦の収穫にあるらしい。そんなことかと季節の推移を眺めるもなんとこの暑さはどうしたことか。夏になったかとおもうようなムウッとした気温にまだ4月下旬にある関西万博の会場はミストだの間歇の吹き出し水だの日陰は大屋根の下だのとニュース映像には事欠かない。並ばない入場列と言いながら、パビリオン予約の制度にも夢洲の通信状況が悪いらしくにっちもさっちもいくかいかないか、かつての日本経済が成長する時代の情報よろしくガマン我慢の人たちが見えるわ、見えるわ、そこへわれもとなるのはいつのことやら。

ブログの主は高齢族であると世間を眺めるもパートにちょい出かけただけでひいころこれこれひいこらとなにが起こるか身体の動かないこと年齢相応にどうなるかを語るのはやりにくいのであちこちの部位の緊張もさることながら体はこうなるのかと自覚する日々である。イベントで高齢者の筋肉のふるまいを経験しようと身にまとう錘などの実験があるがその思いにはとても当てはまらない、何かというとその重りを抱えての動きにはメンタルの意欲があるという年代で手足の筋肉が重くなったとてまだそれを動かそうという脳の働きがあるからとてもその実験ではわからない状況が高齢族になると次々に実感することとなる。つらいことだは今のこの状況では動かしただけの疲労がめぐってめぐりくるあすあさっての体のバランスにあらわれる恐ろしさである。

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