2025/05/30

認知機能検査をまた 5月30日2025年

 メディアが報ずることのニュースに方向が見えない。あべがーからこのかた、近くは兵庫知事再選挙までのメディアのやっていることはSNSの情報で虚実交えた丸見えとなってしまっている。内政外交にあらわになってしまった官僚の跋扈である。政治家を手玉に取るは財政による按配であって増税に向けた役人出世コースを作るのはいつのころからだったのか。大蔵という呼称の時からだと見ると、1998年の第一勧銀接待汚職事件という金融機関から高級接待を受けたことが発覚、この事件により2001年の中央省庁再編で財務省となっている。1998年に金融監督庁を分離したから、金融政策の何事かが日本易起こり始めたことになる。


検査会場に案内されて座席は後方の真ん中だった。久しぶりの座席位置のように全体を見まわした。こういう席から少年期の後半を過ごしていた。義務教育の理想にさらされた、いまにして言えば踊らされた3年間ということになる。数学教師はわたしにこの位置から授業を受けるようにと言い、大将ならぬ後方からの陣営を見渡すような位置である。代数のテキストがその教師の手作り印刷で教科書を離れて大胆な実験授業をしていたため、それについて行かない生徒もあってその面倒を見ろと後方中央に陣取った私にその横の席をあてがった。授業を聞きながらそのおくれてきた仲間をも教えなければならない。器用なことをさせられたのだが、明らかに教師の指導の手抜きを手伝ったことになる。そんなことを思い出させてエリート教育の何たるかを数学のみならず国語も理科も英語も社会もと実践的に学習させられていた。検査開始となって時間がいまに戻った。それから30分ほどの法令規定による検査は認知機能のためである。疾患を気遣っていたので無事に終わったことでよしとしようか。



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