2025/06/10

寿命を考える 6月10日2025年

 かく衰えゆくものかは、と言いつつ、ここに書くというはそれがない、斯くかくしかじかと前文にはないわけだから、これは日記を繰りしてみることになる表現法のひとつ、それを探してあるはまあよし、蜻蛉日記はそこがのこっていない、斯くありしときすぎて、とあるだけで、それを作業にして探し出すという文学解釈になる、50年も前に受けた演習の記憶である。

人生100年とはどんな根拠があったか、平均寿命が女性は87歳、男性は81歳ということであれば、125年とはどんなものか、大隈重信の125歳説初の引用に見える。 

我輩は何故いつまでもすべてに於て衰えぬか  大隈重信

> 人間は百二十五歳までの寿命をもっておるというのが我輩かねての説である。しかしこれにはあえて深い論のある訳でない。生理学者の説に依ると、すべて動物は成熟期の五倍の生存力をもっておるというてある。そこで人間の成熟期は二十五歳というから、この理窟から推してその五倍、即ち百二十五歳まで生きられる訳である。勿論もちろん土地気候の関係や各人体質の如何いかんに依りて長短の差は有ろうが、大体に於て百二十五の寿命というのがその趣旨である。したがって我輩の説からいうと、それ以上に生存した者でなければ長寿者といえぬのである。  青空文庫より

 https://www.aozora.gr.jp/cards/001879/files/58087_63889.html

  「大隈伯社會觀」文成社 1910(明治43)年10月20日発行  初出:「実業之世界 第五号第五巻」  1908(明治41)年9月

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