2025/07/12

朝刊を読まない習慣 7月12日2025年

 新聞の戸別配達をやめた、というので、購読しない、取らなくなったことを考えると。

いくつか影響して、こういうと、それではやめなければいいというような声も聞こえてくる。

が、毎日の話題に見出しによる情報がなくなって、すっきりした気分である。

と言いながら、物足りなく思っているか、すでに3か月、もう慣れてきたころである。

朝のポストへ出る習慣がなくなって、そこで背伸びをすることも、家周りの状況をもその時間では見なくなって、気づいたのが、なにより困るよというのは・・・

そこでえさを求めて顔を出しに来ていた猫だろうかと、このエサやりはもう長い。

だから何代もの、3代目かな、猫が来たので、それも途絶えがちに、なってしまうと。

はじめは朝刊のときとしていたのだが、変わりないようにというのがあった。

あたたかくなると顔を出さないで見えなくなっていた。

時々のように来ると、どこかでもらっているのだろうかという猫の素振りである。


新聞情報サイトの見出しがニュースのこととなると、これまた紙媒体で一瞥していた。

面をめくっていくのと違って、ビュウサイトで紙面をスクロールして見ていたのが、見なくなった、読まなくなった新聞情報というのは、すでに感じるように、すっきりしたこと。

ヘッドラインをいくつかブラウズで見られるようにしてあるが、それもまたメールで届くニュースサイトへの情報まで、こちらからはいかなくなってしまった。

つまり、言ってしまえば雑多な情報には目を通さなくなって、もういいのだろう、なにか、不足があるとまた、その時々の問題となることにはネット検索で見ている。

情報提供がポータルサイトにもブラウズのデザインに乗らなくなって、様子がネットサイトでも変わってしまったようである。


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