2025/09/20

令和七年九月二十日 土曜

 秋が来る、待ち遠しかったところ、夏バテは気温の変化に対応する身体の機能が乱れてしまう、とくにこの気圧変化と日に一気に10℃にもなるという、日中の30℃超が20℃前後に日替わりでなるとなると、この急な変化と体感温度がそれに伴うことが、かえって寒くなるような気がして自律神経が順応しない、すると、だるい、おもい、はては、ぼ-とすると、眠くなるという症状、まさにそうなると、寝るることになる、身も心も。爆睡してしまうと、どうなる・・・


2013-09-09 

秋の気配が忍び寄る。

あれだけ暑い夏が一気に変わるのか。

残暑がまた巡りくるか。

高気圧の張り出した太平洋の気圧配置が動けば、季節も移るだろう。

病院の検診を受けにきて、画像生理と検体検査とを、いつものように済ませて待っている。

先月末、検査をしているのでそれも合わせて診察である。

むなし、むなし、と、心得つつ、2時間を待つ。

医師に呼ばれて診察室へ。

いつもと変わらぬ検査結果の所見だ。

脳のスキャン写真に異常なし、脳梗塞などのことも心配ない。血液検査は正常値、レントゲンによる写真も変わりなし。次は12月に、決めて。

ちょうど2年ですね・・・熱が出たりしませんか、食欲はありますか、いつもと変わりがないですか、など。


感慨を込めて2年のフォローを無事に来たことを担当の医師自ら、祝うかのようだった。

2013-09-10

これは寛解か、あるいは予後か。医学的には寛解、Remission という語を用いるのは、これは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指すと解説がある。国立国語研究所「病院の言葉」委員会 『病院の言葉を分かりやすく:工夫の提案』 勁草書房、2009年、p.p.12-13。一般的な意味で完治せずとも、臨床的に問題ない程度にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば寛解したと見なすようだ。また、予後 prognosis、 Genesung とは、手術後の患者の状態や、病気・創傷の将来的な状態、特にそれらの状態に関する見込み、を意味する医学用語であると見える。こちらの方が医師の使い方によって、余命となるようである。

寛解と予後と、どちらがどうかは、わからないけれど、2年を迎えようとしている。あと3年のケアがあるようだ。3か月ごとだ。先日、9日に、Magnetic Resonance Imaging 磁気共鳴画像 の検査を受けて、頭部に異常は見られない。その検査で得意分野の脳梗塞なども、もちろん、なかった。この2年に2回受診したようだ。いずれも変わらない。2011年の9月2日に、手術の話を聞いてきた 9時からの診察は外科部長が出て 確認書にサインをして 11時から説明を聞いた と記している。

そのあとには、終わったのは昼過ぎで入院手続きまで 長いこと時間がかかるのは仕方ないか ずいぶんと疲れることだ これで12日に入院13日に手術 退院の予定は早ければ20日から23日ぐらいのいずれかで それから2週間の様子見があることになる  とだけ書いている。


20130912 むなしき

生きていくには欲がいると気づいた。手術を受けて回復を図るときの思いだ。これは人生で2度目だから、よくよく救われない、いや二度も生き返った思いか。18のときと47年を経てのいま、いずれも、15から50年を数えることになる。体を慣らしてふと、気づくのである。欲という字義は、字通によれば、声符は谷、よう、谷に容よう、浴よく、裕ゆう の声があり、容は神容、浴・欲はその神容に接する法をいう、と解説し、これまで知っていた、谷を空虚、欠けん は口を開いて欲する意であるとするが、そのような造字の法はない、と説明している。明解だ。彷彿として神容のあらわれる意、その神容を拝するを願うを欲、その神容に接するを裕という、と解説する。この字義を知って、またそうであったかと思うことしきりだ。なんとなれば、白川静漢字学で、欲は、神につかえる態度をいう語である、人の欲望には慾という、とあるからである。

どんな欲か。それは前に進もうという気持ちのあらわれだ。そのために歩みを進めようとする前の準備があるわけだ。そのときに祈る自分がいる。47年前は、大地にぬくもりを感じ、風の爽やかさに、身をすくめて願うのであった。2年前のリハビリもそうして始まった。集中治療室から出てきて、動けなくなった体を横たえながら、どう動こうかと思いを凝らしていた。身体から管が3本も出ているので、動くに動きようがなかった。電動ベッドの背もたれにするまでの痛みは、そうしてもしなくても、難渋だった。苦渋だった。肺から一本、尿のために、また痛み止めの点滴と、1週間を過ごしたのは、どうしていたろうかと思い出しても・・・


2年前のこの日だった。それからやりなおしたこと、体調管理だ。そうもうのは退院してからのことで、ま、ゆめの中で事なきを得て、それからの闘いは生きる意欲を持つこと、前に進める、ひとつを歩むことだった。こうしていられる人間の体の不思議を思う。生きている実感は2週間後に思っている。この日を記憶して書きとどめたものがある。平常心をいうのであるが、へいじょうしん、ではなくて、びょうじょうしん、というそうで、びょうじょう、とは、これいかに と、日本での禅の語を知る。平常心是道 は、中国の研究留学で知り得た。それで、平常心は、へいじょうしん と思い込んでいた。



次は、かきとどめたものだ。



2011年9月13日


 よく眠った。いつもと変わらない。昨夜は満月だった。うつくしい十五夜を、ここ、9階の休憩室から眺めて、消灯は9時で、8時30分ごろに部屋に戻って寝た。

 1時半と4時とに目覚めたが、そのまま、明け方5時半まで。起床は6時だ。

 関節炎の薬は、ステロイド錠は飲み続けることになった。抗炎剤はここでの処方薬になる。

 9時から手術だ。8時50分にベッドを出る。

 3時間から5時間ということなので昼過ぎに終わる予定だ。

 なにもかも、入院も初めてで、しばらく耐えてくる。


 術後のことは、どうなるか、気がつくと集中治療室なのだろう。

 難しい手術ですかと、3週間ほど前の診察で尋ねて、そういうことを聞く自分がおかしかった。難しくないものはないからだが、担当医は、普通ですね、と答えた。

 ずっと避けられないことになったと思ってきたから、あれこれ考えるのをやめてきた。

 なるようになる、受け入れるべき定め、として、信じようとしてきた。

 家族がつらかろうにと思い続けて過ごしてきた。

 

 午前7時のニュースだ。

 経産相の人事が前官房長官になった。あの地震後に、福島原発の爆発事故により、ただちに健康に及ぼす影響はありませんと繰り返しアナウンスをしていたが、それがめぐりめぐって、事故収束の責任を担うことになった。


あと2時間で前後不覚の中、生還を祈る。


 病室から案内を受けて中央のエレベーターで降りた。まだ始まらないというので少し待たされる格好になって、天を仰いでここで、と、思っているとドアが開いてぐるりと麻酔医とアシスタントが待ち受けていた。促されるままに、ベッドに上がった。麻酔医は、説明の時よりさらに小柄に見えたが、こともなげに、命にも係わりそうな麻酔をする、口に棒をくわえてくださいと。 

 背中に管を入れて脊髄への麻酔だから説明のあったように、半ば横向きで背中を丸めた。それで注射をした後に、痛みがあるかないかときかれ、数えるようなことを言われて眠りに落ちた、のだろう、それから向きを直されて、担当医が始めることを耳元でささやいたが、そのまま、気づいた時には、同じような状態でいるつもりだった。3時間は経過していたのだが。 

 こともなく済んだのだろう、切ったものを見せるようなしぐさが見えた。それを家内が眺めていて、やはり、そうでしたと術中の診断がつげられ、きれいになりましたというようなことを聞いた。意識がふらりとする。ベッドを移すというので、抱えられて動いた、それは動かされたのだけれど、体からチューブが何本も出ている。3本らしいのだけれども、それがわかった。 

 いきつもどりつする意識のうちに、そのままに集中治療室になった。目覚めると、それはだんだんとはっきりしてくる周囲の様子に、看護師たちがまたベッドに移すようにしたような気がするのは敷物を背中にするためだった。遠くに時計を見て12時40分を過ぎた針をみとめた。背中、わき腹、そして下腹部にとチューブがある。 

 腕には点滴の管も加わっている。これで動けと言われても動けないよと痛みを感じるままに背を突っ張っていた。あれこれと身の回りを整えている看護師さんたちに、はっきりと違う人影で、家内と娘をみとめた。顔をくしゃくしゃにして、涙を抑えて、言葉にならない息をしている娘がチューブ人間のわたしを見ていた。 

 集中治療室はカーテンで仕切られる。家内から親類の見舞いがあって、術中にはずっと付き添っていたと告げられた。すべて無事であったのでかえってもらったよ、と。軽くうなずいて、声を出そうにも首から下が凝り固まっている。どうも切ったところの絆創膏とわき腹と背中がそれぞれに引っ張り合っているような感覚だった。 

 くくりつけれれているわけではないのだが、うごけない。 

 何度かまた、意識を失っている。 


体力があったので、術後は順調に回復をしていく。


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