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2025/09/23

秋分の日 令和七年九月二十三日 火曜

 お彼岸の中日。宮中祭祀に秋季皇霊祭、秋季神殿祭の日。皇族の先祖祭りを、一般に及ぼすのは、墓参りを仕切る仏事に彼岸此岸の発想が唱えられたからだろうか、先祖供養となる。暑さ寒さも彼岸までとよく言いましたね!ご先祖を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日。



2018年記事を引用する。

連休になる。秋分の日。季節を分けるとは、春と秋だけになる。そうであるかと、節分があった。そして夏至、冬至の日時空を分ける人間の営みである。日のながさを測って、その影である時間とそうでない時間が同じになることを見つけ出す、そういうことであったか。あるいは日の傾きを捉えたか。それは途方もない作業であるから、気象と天文は人智の業、術となる。

燕子崎、崎は正しくは几きが旁になる。揚子江をまた、見にでかけた。北から、南から、さらになかへと、悠然とした時間がある。大きなタンカーが行き交う。下れば蘇州、上海、上れば重慶、成都を結ぶ。南京市民おの浄水場はきのうでかけて、生命の水に、運搬船はまさに古くからの重要航路にある。紅葉かと思ったら、紅風残照は、紫紅岩に映える夕陽であった。

燕子磯という地名だそうだが、そこに来て揮毫したのが乾隆帝であると、御碑亭がそびえる。酒樽石によって岸壁を感じると、まさに切り立っている。

達磨古洞に登った。伝承が論争だそうである。達磨は南京に来たのか。どうもいかがわしいらしい。揚子江を渡って、何処へやらというところで、葺をつかって、武術に長けている達磨さんが渡河をした、となるような、これでは足跡が辿れない。小高い丘に登って祠にたどり着く。そこから下りて、ひょいと揚子江が見える。木立に挟まれて遠景は一幅の絵となる。

南京滞在7日    20180924  日本語教育40年    2018-09-24

聞けば日本語クラブだという。それは、活動はどんな風にして、その目的はと問えば、初心者の日本語学習にボランティアをしているそうである。初級の日本語を話して教える、と聞くと、何かを思い出す。案内をしてくれた学生が、会話巧みに、いろいろ話すので、日本語の先生はだれかと聞いてみたら、日本語を学ぶ仲間だという。そうであったか、日本語のクラブで覚えている。すばらしいことだ!

日本語学習の人気はどうか。増える、減るという動向が話題となるのが常であるが、いま、また増えているとか。良き教え手がない、増えるのに教師が不足のこと、これはいつも繰り返して来ている。外国語を習得して身を立てる時代が変わりつつあるのか。経済の拠って来るところ、その関係は一通りのことがあった。そしてつぎの時代の需要は交流の定着であるから、必要が異なる。どうなっていくか。

滞在7日になる。日のたつのは早いものである。講座をして、あとは観光をした。連休になる合間に飛んできて帰る。目的は果たしたか、お役に立ちたいとやってきて、1年になる準備で、再会をした4年ぶりのこと、有り難い。南京の街になれたころ、帰国する。すると日をおかずして授業が始まる。

懐かしい、思い出の南京である。江蘇省の発展は激しい変化がありそうだから、揚子江にかかる眼橋には何が計画されているだろうと思う。断片のうちにある中国との関わりには日本語教育がある。1978年まで遡って、2018年と、ああもう40年を迎える。研究留学生に日本語指導をして、そのスタートに、進修生を迎えるプログラムを計画、実行してから、研究者、さらに大学院生の日本語指導を続けて、博士学生の指導を行った。長い道のりであった。

2018-09-24

予定を終えて帰り仕度となる。本と冊子を置いて、開いた部分にみやげ物が入った。重量は変わらないかなと、軽くなるのを期待してそうもならなかった。こちらで買ったのは爪切りと歯垢楊枝と傘、スーパーで傘を買って一度きり、開いてさすほどのことなくすぎた。ずっと雨もよいで買った傘であるから、安心のためのようなものだったか。

スマホの便利さが際立つ。日常の通信から、情報の摂取、連絡はケータイ電話をしのぎ、なくてはならない。支払いにQRコードを使ってする、キャッシュレスは当たり前となって、予約から勘定までの流れは数字だけで動く。その様子に驚いたり感心したりする時代ではなくなった。その浸透は便利だからである。通信、通報には関心が高い。

火曜日の飛行機で上海入りして、出迎えを受けた。そこで空港から駅までの間に、迎えにきた学生は高速鉄道を予約したと、こともなげに言うと、スマホを示して14時の電車を取ったと。駅について予約窓口にパスポートが必要だというところで駅外れの建物で買った。なんとも手際よい。感謝して乗り込んだ。駅構内は変わらない待合風景だった。

2、3日は休憩と準備をする。そのときにスマホを地面に落として蹴飛ばした。なんとも言えない、スマホを手にして落としたりしてガラスを割ったことがない、なにごとか。1日め、昼のこと、そこで修理に行くことになって、よく知る学生に案内をしてもらった。白いケースの入荷で翌日になった。ガラスは取り替え作業に時間がかからないということで、昼3時に出かけて4時に出来上がった。

4日は午後から講座を勤めた。スーツを着込んだので、汗かきながら、80分話した。政治になると関係が分かりにくくなる。言葉の現象として、ネット検索できる議論を紹介した。誰でもできる、誰にもわかる、という触れ込みなのだが、ネット社会の常で、それを行う手順を違えると結果が異なって来るし、その判断が求められることになる。難しい話だったが、資料で考える材料にはなる。

5、6日は揚子江を観光した。

飛行機は午後6時10分、上海浦東空港発、中部国際セントレア、午後9時20分着、南京駅は12時の高速鉄道で2時間ほど上海駅に着く。お世話になりました。

無事に帰り着いた。東方航空は快適だった。なんでも昔と比較してばかりでは、たまらないことだろうけれど、中華航空が民航に取って代わり東方航空と南方航空と草分けの時代に乗って、その頃のことからすれば、雲泥の差である。日本の航空会社とサービスに遜色がない。

2018-09-25

着いたのは9時20分、名鉄特急に、10時過ぎに乗って、45分に名古屋着。

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 令和八年八月二十五日 火曜日

 台風が4つ並んで、8月に発生するその数は21号を数える。西日本を今度は、と言いたくなる襲い方だ。