2025/09/22

涼しくなった 令和七年九月二十二日 月曜

 涼しくなった、といえるかな。明け方の気温が20℃を下回れば日中の暑さと比べて涼しいのは一気に寒いくらいかもしれない。週1の授業に出かけて疲れはしたが、回復とその疲労度には普通感がある。普通感ってなになに、休めばもう元気になると思えること・・・

予後か、寛解か、治癒となるのか、手術後3か月と、慣れてきた。運動不足の影響にも改善の兆しがある。とくに何もしないが、歩けばそれがわかる。老いを受け入れるなと、クリントイーストウッドが運び屋のワンシーン、エンドロールになるところ、そこで繰り返し歌っていた。

>「予後(よご)」は病気や怪我の後の「将来の見通し」を指すのに対し、「寛解(かんかい)」は、病気の症状が一時的に軽くなったり、無くなったりしている状態を指す医学用語です   検索語にAIによる概要回答



1週間すれば母親の誕生日、生前の、元気なときを思い出せなくなってきた。だからと言うのでもないが、漂流郵便局に書いたものをとりだしてきたら、日付は。

2014/05/11 11:11:11

母上様

 母上は無言で諭してくださった、それから、自己に・・・

 それまでどおりにかわらぬ思いを胸に秘めてきた、姉の家に

 自宅介護をしていた、それはわたしにとって急な知らせだった。


 あの時にはすでに目の動きだけっだった母上には、

 気分よくしていて日和に望まれるままに湯あみをしたと

 思いもよらぬ軽い肺炎を起こしたと、涙に泣き暮れていた。


 聞いて300キロ余の道を駆けつけてみると、そこには

 救急車で救急病院を3件ほど回されたあとの

 須磨の病院の一室で、そこは集中治療室だった。


 あのときはわたしをみすえていらっしゃった、

 その眼はえらくなりなさいと語ったときと同じだった。

 お前のことはそうすることでしか報われないと。


 治療を受けるべく、いらっしゃった。

 そのベッドのわきに佇んだわたしだった。

 かわらず意識があったので、手を握った。


 それからそこに、どれくらい、3か月に

 月日が流れた、通い続ける姉に寄り添う兄に、

 母上はこたえなくなっていた、ながく流動食に


 その呼吸器をはずす、はずさないの家族会議で

 病室で大げんかをしてしまったわたしだった。

 涙がとめどもなく流れそうになって、くやしくて


 父上の制止を振り切って須磨の神社に走り出して

 気が付いたら海に向かって、ほえるように声をあげ

 ――神も仏もあるものなら母をかえせ!


 そう叫んでしばらく泣いた。

 いつのことだったか、母上がいなくなって

 その日のことをおぼえて、なくなられた、そのこと


 いまだにわたしには母上の目がある

 口も手も足も動けなくなってしまった病に

 なすすべなく、3年のリハビリを希いながら


 もう幾年になる、いまはどこでどうしていらっしゃる

 母上に届けようと思ったカーネーションはこれまでに

 1本、2本、3本、4本、5本と届かぬままに22本にも

 

 きょう新聞でALSなどの難病患者の意思表示に

 アプリが開発されてアイパッドにダウンロードできる、

 というニュースがあって、おもわず、ふいにも


 いいものができたと母上にむかってつぶやいた。

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令和八年六月十五日 月曜日 民俗にあるもの

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