2025/09/06

縁の下の力持ち 令和七年九月六日 土曜

 思い出さずとも忘れはしないとも、もうボケていくから、いつまで覚えていることがよいのか悪いのか、時代は移り変わったようだし、わたしがボケるのも時間のことになる。引退して悠々自適にないのはまだ整理がつかないと言うことか。めぐりあわせの答え合わせをしなければならないのか。

人生に愚痴を言うようなものだから、いわずしてこのまま、そおっとしておくほうがよい。そうは言いながら、どうも自分の努力とその結果とが釣り合わない、というわけでもなくて、ただ、そうなること、できることを進んで、その解決にあたってきた。あれもこれも、そうだから、身体のバランスをとるように、うまくしてきたつもり、だが、だいぶ助けられている。

ついの棲家と決めた職場では少なくとも数回は危機を乗り越えている。数回とは、東京方式の、2、3のことでなくて、大阪方式で5、6回である。そもそもコース設定に招請されているから、その働きやいかに、と言うことになるが、これまた、スタッフによるとんでもない出来事に腐心をするようなことが多かった。

組織は無力に見えた。自分が生かされていたからその背後で有力であったのかもしれない。信用を持つという信念に支えられていた。それこそが人にわかりにくいところでもあるが、その場を救ってきたことになるので、それ以上の証明はない、要らない、誰が穴埋めをやったかわからない、というようであって、人にそれを見せるようなことでもない。

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