逝きしもの、残りしもの、亡くなった人々を逝きしものと、残された人々や彼らの意志継承の残りしものと、対比して、生き残りと言ってみると、その思いには心の戸惑いがある。果たしてどうなったか、どうすればいいのか、と。思い起こすはなに。
昨暮れの訃報をいまだ言葉にすることができない。その感情をセーブして書き上げた教科書を捧げたいと表明した。文章文法による日本語教科書と対象者を定めた60ページのパンフレットである。思いをつなぐものがあるだろうか。それは人工知能に対話をしてまとめたのである。
民族じゃなくて、民俗だろうに、ミンゾクはどうなったかと検索してみて、でてきた、でてきた、ヒットしたのは柳田国男、折口信夫とあいかわらぬ研究者名の古さには文化人類学という皮衣ができた、のだった―――しかし柳田国男はフォークロアーとエスニシティ―を論じているようだから。 人類学と文...
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