月が替わる、朔、陰暦、神無月になった。神なし、神ありとは、曰くありそうな名前、伝説によるのか、伝承されるは、おもいいたることに、 神についての記録と言うのはもとよりない伝統があるので、神事、神道はわかりにくいと言う深遠さ、深淵なのであろう。
AIによる概要とか、>「神無月(かんなづき)」という言葉の由来には主に2つの説があります。一つ目は、全国の神々が出雲に集まるため、他の場所から神が不在になる月だから「神無月(かみなしづき)」と呼ばれ、集まる場所の出雲では「神在月(かみありづき)」と呼ばれるようになった、というもの。二つ目は、神聖な五穀を収穫し神々に感謝する月、つまり「神の月(かむなづき)」という意味だった、という説です。 Google 検索の AI による概要
ここに言い伝えがまことに、かみのつき かむなづき であるなら、神無し、の表記はあたらない。神無月、水無月も同様の漢字用法となる。これも、AI検索に出るので、あれれ、頁を繰るとまた情報が違ってくる、諸説ありきと、便利なのか不都合なのか、これはわからない。神の言葉に成書がない、聖書なく、AIに託宣でもでてくるようになるのかなぁ。
その存在を見ることもないのであるが、日本の神とは、神霊が宿るところにいると思われて、そこにまつられるものである。人間は、という考えもないころに、人類はというあたりであろうか、人が神より生まれる、人が神から人となるという神話を持つ祖先には、人が人となる前に神がいたのである。それを解き明かすと、体と魂のことになる。神は、従って、からだに、はいりくる、たまであるから、それを霊魂として結び付けて、神聖な霊性を伴うところに宿りいます、と見たのである。神は、人が死んだ後にも、魂として体から抜けて、天空にいることになるから、それを集まるところとしての屋形がいることになる。それから、神社として人の死まつることである、というのは、人の社会に、神の社会であるから、神社には魂が玉となって奉じられている。日本の神は、人々の魂のよりどころであるから、行ったりきたり、つまりは、からだにはいったり、でたりしている。したがっていえば、神に万能はないし、実は霊力もないのであるが、それを宿していそうなところだけは、自然界の現象に見い出す日本人、日本民族なのである。
日本の神とは 2017-04-29 | 日本文化論
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