2026/03/31

令和八年三月三十日 月曜 10年前には

 

  1500年前の日本人が漢字を『訓読』という魔法で自分たちの血肉に変えたように、現代の私たちもまた、英語を日本語の新たな層として積み上げている。22世紀の辞書には、カタカナやアルファベットが『国字』として並んでいるだろう。日本語の語彙が持つ、この底知れぬ抱擁力こそが、わたしたちの知性の現在地を形作っているのである。




学問の世界では、語彙は音韻・文法と並ぶ「国語学の三大分野」とされてきました。かつては文献実証による「国語学」が主流でしたが、現在は実験や統計、コンピュータによる計量的な「日本語学」へとその幅を広げています。語彙はもはや単なる「語の集まり」ではなく、有機的に結びついた「体系」として捉えられるようになりました。

1500年前の日本人が漢字を「訓読」という魔法で自分たちの血肉に変えたように、現代の私たちもまた、英語を日本語の新たな層として積み上げています。22世紀の辞書には、カタカナやアルファベットが「国字」として並んでいるかもしれません。日本語の語彙が持つ、この底知れぬ抱擁力こそが、私たちの知性の現在地を形作っているのです。

日本語は時間の深さと空間の広がりを持ち、過去から未来へと繋がっています。

新たな日本語を学ぶ人々と、それを支えてきた過去の知性。その両方が、日本語という無限の探究において、常にともにあるのです。


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