4. 「日本」という呼称に宿るアイデンティティ
日本語という概念を考えるとき、避けて通れないのが「ニッポン」か「ニホン」かという呼称の議論です。国号の由来を歴史的に遡り、いつどのように記録されたかを追及する研究は絶えません。しかし、結局のところ、私たちはその正解を一つに定められないまま今日に至っています。
私にとってこの議論は、単なる名称の確定ではありません。たとえ国号を記した新たな古文書が発見されたとしても、当時の人々がそれをどう発音し、どう訓読みしたか——その「声」の中にこそ、日本人のアイデンティティを求めることになるからです。結局、私たちは「日本」という表記を共有しながら、その読みを自らのものとして選び取ってきた歴史を持っています。
5. 表記が支える「日本の概念」
この「読みの揺らぎ」こそが、日本の概念そのものであるとも言えます。私たちは「日本」と書きながら、ある時は「ニホン」と呼び、ある時は「ニッポン」と呼ぶ祖先を持ってきました。これを論理的に決着させるのは困難を極めます。
しかし、面白い現象があります。例えばローマ字で書く際、にほんを「nihon」とすることは少なく、外的な発信においては「nippon」が選ばれる傾向にあります。言葉の「外延(外向けの広がり)」としては「nippon」が機能しつつ、その「内包(内なる実体)」は「にほん/にっぽん」という重層的な音の重なりの中に保たれているのです。
日本語は、単なる「ニッポン語」でも「にほん語」でもありません。それは「日本」という文字を核とした言語なのです。どちらの音を意識しようとも、根底には「日本」という文字(字形)が言葉として鎮座しています。音声と言語、そして文字が見事に一体化しているのが、私たちの言語特性なのです。
6. 結び:重層的な「言語」のゆくえ
「日本言語」あるいは「日本語」。これらの言葉は、その内実を捉えていてもなお、名付けとしては一筋縄ではいかない複雑さを持っています。
「Nippon」と呼ぶ場面、「言語学」と語る場面、「言語道断(ゴンゴドウダン)」と口にする場面。私たちは漢字という概念の器を使い分けることで、言葉を豊かにしてきました。
- ことば(音形):
生きた音声としての活動。
- 言語(文字):
記録され、固定された概念。
- 語(字形):
漢字を中心とした視覚的な実体。
かつて漢語を取り入れることで概念を構築した日本語は、いまや欧米由来の用語をも飲み込み、多様な「語」が混ざり合う雑種混合の言語として進化し続けています。電子情報の時代になり、「言(発言)」のあり方も多様化しました。日本語を捉えるということは、この重層的な文字と音のドラマを、現代の文脈の中で読み解き続けることに他ならないのです。
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