2026/03/29

令和八年三月二十九日 日曜 重層的な「言語」

 


4. 「日本」という呼称に宿るアイデンティティ

日本語という概念を考えるとき、避けて通れないのが「ニッポン」か「ニホン」かという呼称の議論です。国号の由来を歴史的に遡り、いつどのように記録されたかを追及する研究は絶えません。しかし、結局のところ、私たちはその正解を一つに定められないまま今日に至っています。

私にとってこの議論は、単なる名称の確定ではありません。たとえ国号を記した新たな古文書が発見されたとしても、当時の人々がそれをどう発音し、どう訓読みしたか——その「声」の中にこそ、日本人のアイデンティティを求めることになるからです。結局、私たちは「日本」という表記を共有しながら、その読みを自らのものとして選び取ってきた歴史を持っています。

5. 表記が支える「日本の概念」

この「読みの揺らぎ」こそが、日本の概念そのものであるとも言えます。私たちは「日本」と書きながら、ある時は「ニホン」と呼び、ある時は「ニッポン」と呼ぶ祖先を持ってきました。これを論理的に決着させるのは困難を極めます。

しかし、面白い現象があります。例えばローマ字で書く際、にほんを「nihon」とすることは少なく、外的な発信においては「nippon」が選ばれる傾向にあります。言葉の「外延(外向けの広がり)」としては「nippon」が機能しつつ、その「内包(内なる実体)」は「にほん/にっぽん」という重層的な音の重なりの中に保たれているのです。

日本語は、単なる「ニッポン語」でも「にほん語」でもありません。それは「日本」という文字を核とした言語なのです。どちらの音を意識しようとも、根底には「日本」という文字(字形)が言葉として鎮座しています。音声と言語、そして文字が見事に一体化しているのが、私たちの言語特性なのです。

6. 結び:重層的な「言語」のゆくえ

「日本言語」あるいは「日本語」。これらの言葉は、その内実を捉えていてもなお、名付けとしては一筋縄ではいかない複雑さを持っています。 「Nippon」と呼ぶ場面、「言語学」と語る場面、「言語道断(ゴンゴドウダン)」と口にする場面。私たちは漢字という概念の器を使い分けることで、言葉を豊かにしてきました。

  • ことば(音形): 生きた音声としての活動。
  • 言語(文字): 記録され、固定された概念。
  • 語(字形): 漢字を中心とした視覚的な実体。

かつて漢語を取り入れることで概念を構築した日本語は、いまや欧米由来の用語をも飲み込み、多様な「語」が混ざり合う雑種混合の言語として進化し続けています。電子情報の時代になり、「言(発言)」のあり方も多様化しました。日本語を捉えるということは、この重層的な文字と音のドラマを、現代の文脈の中で読み解き続けることに他ならないのです。


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