『匡言』を編む――言葉を正し、救うこと
「匡(きょう)」という言葉は、いささか難解だが、辞書を引けば「匡正」すなわち「正しい状態にすること」「欠点を改めて正す」とある。ならば、その「正しさ」とは何かが自ずと問われることになるだろう。 わたしは十年前(2016年)、『匡言(まさごと)』と名付けた一冊を編んだ。それは論集の補遺であり、自身の退休記念でもあった。見開きには、自戒を込めてこんなざれ歌を載せている。
言葉 道 てにをは たどり ふみ わけて ことをは おきて とくる こころ
この「一句のことをは」に向き合う中で、私は言葉の語源に深く触れることとなった。 「匡」という字を紐解けば、その原義は「正す」「救う」にある。字形としては「筐(かご)」に通じ、出陣や出立の際の儀礼を表すという。単に形を整えるのではなく、何かを切実に救い出し、送り出すような意志がこの字には宿っている。
一方で、私たちが日常使う「辞書」や「辞典」という言葉はどうだろうか。中国語では「詞典(cídiǎn)」も「辞典」も同義として扱われるが、日本語における「辞」の用例を辿ると、幕末の『和蘭字彙』にその端緒が見える。
「ことば(言葉)」という表記自体、植物に擬えた表現だ。万葉集の家持の歌には「言羽」とあり、古今和歌集の仮名序を経て「ことば」の概念は豊かに広がっていった。平安初期の点本には「辞」を「コトハ」と読ませる例もあり、歌の背景を語る「詞書(ことばがき)」へと繋がっていく。
「匡言(まさごと)」を編むことは、私にとって、あふれる言葉の葉を整理し、その根幹にある「正しき意味」を救い出す作業に他ならなかったのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿